地境と天幕

今年の修養会も盛会のうちに終わりました。毎年、この修養会に出席しているとカリフォルニア各地、ハワイ、アリゾナから集ってくる兄弟姉妹と顔見知りになります。一年に一度、二度しか会えない方達ばかりですが、心はどこかでつながっているように感じています。

Shuyokai

在外邦人に対して単立で伝道している教会は世界にたくさんありますが、教団として存在している団体は世界を見まわしてもそんなに多くはありません。私達はそんな伝統と共に今もこの国において邦人伝道の歴史を刻んでいます。

『あなたの先祖が立てた古い地境を移してはならない』(箴言22章28節)
『あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ』(イザヤ54章2節)

これからも信仰の先人が建てた地境を動かさず、その杭を強固にしつつも、天幕を広く張り拡げ、惜しむことなく綱を長くしていきたいです。

マック

 

Little Boy

Little_Boy_poster映画『Little Boy』を観てきました。大抵、私はトレイラーを観てから映画を決めます。この度もこのトレイラーを観てから行ったのですが、まさか「牧師が手渡した一枚の紙」と「日系人」がこの物語の中心にあるとは知りませんでした。

互いに「パートナー」と呼び合う父と幼い息子。しかし、第二次世界大戦がこの父子を引き離します。戦場に徴兵された父親が帰ってくるために「やるべきリスト」を牧師から手渡された息子(リトルボーイ)。一生懸命にそのリストを一つ一つこなしていきますが、その中にはその町に住む日系人の「橋本と友達になる」というのがありました。そのリストを握りしめ、反日感情が激しくなっていく町で少年は橋本に・・・。

一貫して「信仰」と「許し」がテーマの良作でした。

マック

追伸:日系俳優のHiroyuki Tagawaが差別の只中に生きる橋本を好演しています。

世間と風潮

o0320046012699756442みのもんたさんの降板会見でみのさんご自身が言われた言葉。

「大変世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」

「これが今の日本の世の中だと思います」

「やめなければ収まらない風潮に僕は感じた。人品骨柄、収入、住む家までたたかれるとは思っていなかった」

この会見ほどに日本をあらわしているものはないと思いました。出てくるかなと思っていましたが、やはり出てきました、世間様。私達が見ることも、触れることもできないもの。しかし、確かに日本という国に実在し、変化自在、圧倒的な力をもって、私達の言動を決め、人がその前で頭を下げる存在。

みのさんはこうも言いました。

「今後、こういう事例は日本ではどう考えられるのか。議論をしたい」

「世間と風潮」というものに向き合われて、その正体を探りたいということなのかなと勝手に解釈しています。もし本当にそうなら議論を見守らせてください。

『これらのことをあなたがたに話したのはわたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい、わたしはすでに世に勝っている』(ヨハネによる福音書16章33節)

マック

追伸:「世間様にお会いしたい」というテーマで何度かお話をさせていただいたことがあります。日本に君臨するのは仏様でも天照大御神でもなく、世間様だと思っています。

 

優しい日本語

images (6)去る水曜の晩、日本の岩手で被災地のグリーフケアーをしていらっしゃるアメリカ人のニールセン宣教師ご夫妻が教会に来てくださって、その活動の報告してくださいました。先生ご夫妻はあの311までは愛知県で教会を牧会していたのですが、311後すぐに現地に入り、以来、かの地でそのはたらきを続けてこられました。また来年三月には岩手に戻るということです。

また先日訪れたカナダでは札幌で40年あまりも宣教活動をしておられた南アフリカご出身のシュミット宣教師ご夫妻に出会い、最後の晩はご自宅に泊めていただきました。南アフリカと北海道に共通点を見つけることは簡単なことではなく、しかしながら先生ご夫妻は文化風習が全く異なる札幌を愛し、ご自身の人生をかの地に注いでくださいました。

ニールセンご夫妻もシュミットご夫妻も日本語がほんとうに上手で、その一言一言がなんとも優しく、とても丁寧であることに驚きました。あらためて自分の日本語はなんて雑で、ぶっきらぼうなのかと頭が下がりました。

先生ご夫妻はきっと数えきれないほどの御苦労を経験されたと思います。しかしながら、そのお顔にそのような影は微塵もなく、いつも笑みを浮かべながらお話くださった穏やかなお顔が心に残っています。

マック

追伸:先生方は何か手にとって触れる物を売り込むためにその地に生涯を捧げたのではなく、見えないお方を人々に示し、そのお方を伝えるためにその地に住んだのです。こんなとんでもないことを可能にしてしまうこと、それを私達は信仰と呼んでいます。

 

 

 

北の国から

週末から日曜日にかけてバンクーバー日系人福音教会主催のチャーチキャンプに呼んでいただきました。国が異なりバンクーバーという土地も初めてでしたが、どの方達も以前から知っているような親しみやすさを感じ、とても楽しく有意義な時をもつことができました。discipleship-copy

バンクーバー教会は福迫先生ご夫妻を中心にどの年代にも行き届くチームミニストリーをなさっており、幼子もご高齢の方達もいつも笑顔で満ちておられたことが印象的でした。他の教会を訪問させていただくと、いつも新しい発見や気づきが与えられ、収穫が多い旅となりました。北の国境の街、南の国境の街とそれぞれ暮らす場所は異なりますが、これからも力いっぱい主を喜んでいきましょう!

マック

 

Manzanar Fishing Club

manzanar_fishing_clubマンザナー強制収容所」と「トラウト釣り」には深い関係があるということを最近、知りました。

大戦中に日系人が収容されていましたマンザナー収容所で監視の目をかいぐぐって、近くの川や湖にトラウト釣りに行っている男たちがいたというのです(実際には数は多くはありませんが女性や子供もいたようです)。確かに先週、このマンザナーの辺りをドライブしていた時に、周囲は荒野なのですが、クリークの看板が多いことが気になっていました。

命をかけて鉄条網をくぐりぬけて、喜びいさん、クリークに向かう人達の後姿が目に浮かびます。竿を握るその姿は「俺たちの心まで支配されてたまるか」という彼らの心のあらわれです。これからトラウトを釣るべく竿を振る度に、マンザナーでたくましく、またおおらかに生きた同胞の先輩たちのことを思い起こすことでしょう。

マック

追伸:「Manzanar Fishing Club」について書かれたLA TIMESにいつも委員会で一緒になるSさんの名前を発見。同姓同名かと思いきや本人ではありませんか。今度、じっくり話を聞かせてもらいましょう。

 

ゼロコンマの時間差が生み出す日米の違い

日本語は最後まで人の動向をうかがいつつ、意見を言うことができるような構造になっています。反対に英語は人の動向をうかがう前に自らの意見を言うことができるような構造になっています。たとえば;

I do not like it. 「I do not like it」なのか「I like it」なのかは「I」 のすぐ後に決めなければなりませんので、人の動向をうかがう余裕はなく、本音が行き交います。

私はそれが嫌いです。「嫌いです」なのか「嫌いではありません」なのかは全て語尾にかかっていますので、この語尾にいたるまでのゼロコンマの時間で私達日本人は目前の状況を判断して、人の顔色、心の動向を見極め、時に自分の思いではない建前を言うことができます。例:「私はそれが嫌い / というわけではありません」「私はそれが嫌い / でした」などなど・・・。

我々日本人は語尾を巧みに操る言葉の魔術師です。このような巧みさはあまり世界でも類を見ないものなのではないでしょうか。このゼロコンマが修復困難な国家間摩擦のひきがねになってしまったということが過去にあったかもしれません。小さなことですが、この違いを侮ってはなりません(笑)。

マック

原風景:訪問

A去る日曜日午後から、妻が牧師夫人リトリートに出席するために二泊で出かけました。年に一度のこのリトリートを彼女は楽しみにしていて、同じ立場にいる方達と色々なことを話し、祈り合えることが大きな支えとなっているようです。

さてさて、そこで留守番組となりました私達、大人一名、子供三名は日曜日の午後、健康上の理由により、しばらく教会に来ることができないある方を訪問しました。その訪問先に向かう道すがら、今から38年も前のことを思い起こしていました。

その時、私は母と千葉県の神崎という町に住んでいました。母が牧会をしていた教会がそこにあったのです。母はまだ幼稚園児の私を自転車のうしろに乗せ、教会に来ている方達をよく訪問しました。今でも忘れられない光景は利根川の緑の土手を母が自転車をこぎ、私は後ろに乗り、途中で土手に座ってヤクルトを飲みながら休憩し、神崎大橋という真っ赤な橋を渡って(橋を渡るとそこは茨城となります)、教会の方達を訪ねた日々のことでした。私は利根川が見えるたびに「うみはぁ~ひぃろいぃな~おぉきぃ~な~」と大きな声で歌い、その声に驚いたヒバリが土手の草むらから飛び立っていきました・・・。

今や自分が父となり、訪ねた方を前にして子供達は並んでソファーに座り、その話を聞いている・・・。38年前の自分の姿を見ているようで、なんとも不思議な感覚に包まれた時でした。

マック