聖書の世界は主に現在のイスラエル周辺を中心とした乾燥した土地の話であり、それゆえに「荒野」とか「泉」という言葉がよく出てきます。しかしながら私達は普段、荒野に住んでいるわけではなく、それなりに整備された街に住んでおり、荒野での生活というものはどんなものなのか、荒野に泉があるということにはどんな意味があるのかを本当に知ることはできないと思います。
このようなことは紙面で想像するよりも、実際に荒野に行き、その灼熱の日差しを全身で浴び、埃を全身にかぶり、泉に全身、浸るのが一番、ということで、去る日曜日の夕刻から、メキシコ国境をかすり、国境警備隊の尋問を受けつつ、アンザ・ボレゴ砂漠州立公園内にテントをはってきました。その名も「Agua Caliente」、スペイン語で「熱い水」を意味する荒野にひっそりと湧く温泉地帯。
なべ底にいるような静寂に包まれた夜は、誰も通らない道にしばし仰向けになり、まさしく落ちてくるのではなかろうかと思うほどの満点の星空を眺め、「家の中でネットにしがみついている現代人と毎夜、こんな空を眺めて眠りについた昔の人との違いについて」「昔の人はこの星空をどのように理解していたのか」等々、ああでもない、こうでもないと各々、思うことを語り合うことができました。
夜中にはテントのすぐ側で一匹のコヨーテが遠吠えをすると、他の数匹が続けざまに遠吠えをはじめ、まさしくこれぞ荒野、自分達は彼らのテリトリーに一晩、場所を借りているのだなと実感しました。
マック
追伸:温泉というと渓流のせせらぎや森林の香りを思い出しますが、見渡すかぎりの荒野に湧いた温泉はまさしく心身ともに潤してくれる天からの賜物でした。