長男は高校に入って以来、クロスカントリーを続けています。走ることの爽快さや練習は嘘をつかないということを知り、タイムが早くなったり、レースのかけひきの楽しみもおぼえたようです。そこで今年も春先から今のシーズンに備えて、こつこつと自主トレを続けていたのですが、どうも膝に痛みを感じるようになり、なかなか走ることが出来ずに、これまでもレースに出ることができずにいました。しかし、それでも練習には毎日顔を出し、その状態でできる体幹や自分でできるメニューをこなしていました。
仲間がバースティー(日本でいうところの一軍とでもいいましょうか)に上がり、それを見守るだけの彼の心を察しつつ、陰ながらに祈っていました(先日は家族全員で彼の膝に手を置いて祈りました)。そうしましたらここ数日、痛みがなくなり、今日のレースに出るというのです。心肺機能を訓練するほどの走りこみはできてはいないので記録は期待できないかもしれませんが、全力で走ってきてくれたらと願っています。
親として何よりも感謝なことは、走りたくても走れないという日々を神様が彼に与えてくださったことです。自分の思い通りにいかないことがあったとしても、できることをコツコツと続け、やがて来る日に備えておくということ。このような日々から彼が得たものは、これからの彼の人生において大きな財産となることでしょう。
『あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである』(コリント第一の手紙9章24節ー25節)。
マック