母の日、私の場合

08/16/2020▶︎ 命の水の泉から

みなさんそれぞれ、良い母の日をお迎えになったようですね。私達の教会でもこの日は女性が大いばり出来る日でした。
母の日2015 写真1
礼拝報の表紙にも箴言11:16の御言葉「しとやかな女は誉れを得る」が書かれていて、礼拝直後には男子会から女性にバラが配られました。
写真2
またメッセージの初めに、この母熊のYouTubeが流され、いかに母親の子供に対する愛が動物界においてもすごいかがアピールされました。

英語部と合同のランチは男性が用意したもの、キッチンは男性でいっぱい。まず、女性からお食事を取るようにという事で、外に並べられたテーブルからいつも下働きをしている女性たちは思う存分、お皿いっぱいご馳走をとりました。
母の日2015 写真3
後に残された男性達の分があるかどうかなど、この際は関係ありません。男性が用意したので、手作りではなく、テイクアウトしたものも多かったようです。
母の日 2015 写真4
なにしろ、女性にとってはお料理から解放されるということは嬉しいことです。
子供達が家にいたときには、母の日にはプレゼントよりも時間をちょうだいと一緒に出かけてくれるように頼んだものでした。今は二人の子供は両方とも、遠くにいるし、もう物はふやしたくないので、カードだけです。感心するのは、アメリカ人である子供達は必ずカードを間に合うように送ってくることです。
写真5
帰宅してから偶然、昔娘が母の日にくれた栞をみつけました。もう17年も前、娘が17歳でちょうど墨絵を習っていたころのものです。そこには、箴言の17:6から「孫は老人の冠である。父は子の栄えである」と書かれていました。
どうしてこの御言葉をその頃書いたのでしょう。父は子の栄えというところからでしょうか。一昨年この娘が孫を生んでくれてまさに今この言葉が老人になった私たちにぴったりです。
極め付きは夜遅くなってきた亡くなったクリスチャンの知人のお嬢さんからきたテキストメッセージでした。「母の日おめでとうございます。弘美ママの子供さん達はママと呼べる弘美ママがいて恵まれていますね。私が小さいとき、かわいがってくれてありがとう」
そう、彼女のお母さんの長い長い闘病生活の間、彼女と弟さんを預かったことがあったのを思いだしました。それも恵みでした。そして、天国にいる彼女のお母さんのことを思い、すべてのことを主に感謝した母の日でした。
竹下弘美



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08/16/2020▶︎ 命の水の泉から

Posted by SANBI.us