主の日

▶︎ 命の水の泉から

主の日  竹下弘美

毎日配達されるおびただしい広告をよりわけながら、捨てようと思った広告にハッとした。クリメーション(火葬)の広告だった。その広告には、「今のうちに申し込めば、いつ死んでも今の値段が据え置かれてきます」とあった。こういうのはインチキが多いからと思いながらも、現在の値段で据え置かれるのは良い話だと、同封の返信用紙を出せばもう少し詳しい情報を送ってくれるというので、捨てるかどうか少し迷った。

夫の父が亡くなった時には韓国に墓石を注文したのだそうだ。しかもそれは代々の韓国王族の墓石と同じように大きな亀の形を土台にしている。重いこの石を船でとりよせるのは大変な経費だったと思うし、しかもそれまで、東洋人は入れなかった横浜の外人墓地に埋葬したから、たいそうな費用だったろう。まだ、50代での突然の死だったから,この経費は残された義母にとっては負担であったと思う。今は義母もそこに埋められている。

長男の嫁としては、訪日の度にお墓参りを心がけている。このごろ、あの横浜の外人墓地は荒れ果てて、ノラネコの横行と、それを狙うのではないかと思うような烏の大群。そして、資金がないのだろう。手入れがゆき届いていず、木々がうっそうと茂り、夏に行くと、いっぺんに藪蚊にいっぱい刺される。

手入れが行き届いてないというのは、埋葬されている外人たちの知人もすでにこの国にはいなくなった人たちが多いからではないだろうか。げんに私たちだってそうなのだから。

そんな現状をふまえて、夫はお墓はいらないという。火葬して、海に撒いてくれれば良いという。私もそれで十分だ、後に残された者がお墓参りを重荷に思っては気の毒だ。たしかに私も訪日して、義父義母のお墓参りにいかないと、申し訳無いような気もする。一方、93歳の母とは父の多摩にある霊園にお墓参りするのが、ひとつのイベントになっているから、これもこれで愉しいのだが、お墓もどんどん値上がりしていくことだろう。

それにしても、肉体の行く末が、お墓であろうと、灰となって海に撒かれようと、私たちの魂は天国にいくことが保証されている。なんと幸せなことだろう。

なにはともあれ、火葬の費用がどのくらいかと、インターネットで調べてみた。なんと、この私たちの住んでいる小さい町にもちゃんとクリメーションをしてくれるところがあった。なにも急ぐことはないかもしれない。

それよりも私たちが急がなければならないのは、下の聖句にあるように、この日を主のために生きることかもしれない。ビリーグラハム氏は「心臓に手をあててごらんなさい。動悸がクイッククイックといっているでしょう」と私たちを促す。

わたしの日々は機(はた)の杼(ひ)よりも速く、望みもなく過ぎ去る。 ヨブ7:6」

竹下弘美


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
↑↑ キリスト教ブログランキングに参加しています。 よろしければ応援クリックをお願いします。