泉誕生

▶︎ 命の水の泉から

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その日私たちが礼拝を守ったウェストコビナクリスチャンチャーチの礼拝はNCM2のおはこ、「花も」で始まりました。最初のフレーズが「ここに泉わく」なので、嬉しくなりました。
その礼拝中、娘からテキストで陣痛が始まったから帰ってきてくれないかと言ってきました。

上に2歳の男の子がいるので、娘婿だけでは人手が足りず、私たち夫婦は北カリフォルニアからロスの娘のところに駆りだされたわけです。今しかできないこと、そして今やるべきことは何か、リタイヤしている私たちがすべきことは娘の援助でしょう。
私たちが教会から帰宅するやいなや、娘夫婦は病院に向かいました。そしてあっという間に女の子が産まれました。たった2回のプッシュだったとのこと。前々から決めていたように泉という名前がつけられました。
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翌々日帰宅する家族を迎えるのにこんな風船を用意しました。嫉妬しないようにと両親は上の男の子レオに妹の泉からだといって大好きな車をプレゼント
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それでも母親をとられたという想いは消えないようで、いつもより、わがままです。泉の方は豊富に出るおっぱいに満足して、良く寝ます。
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まあ女の子というのはなんと楽しいことでしょう。すでにお洋服も着きれないくらいありますが、男の子の殺風景な洋服とは違ってカラフルです。
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でも女の子だといってピンクばかりではなく、かなり、シックな色柄です。それにしても今の子はなんと贅沢なことか。この子の母親、つまり我が娘は教会の方々からのおさがりでほとんど用をたしていましたのに。
私たちは、もっぱら上のレオのプリスクールへの送迎と産婦のための食事作りです。こんなにおさんどんをしたのはレオが生まれたとき以来一生で2度目です。いつも夫と二人、手抜き老人食ばかりしているので、大変です。いつも食卓のことにはかかわらない夫ですのに、韓国で産婦に飲ませる、牛肉とわかめ入りのスープ作りに半日も費やすくらいです。
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骨からスープガラをとるためです。
私たち夫婦が孫に伝えるのは信仰だけです。

「金銀は私にはない、しかし、私にあるものをあげよう。 使徒行伝3:6」

このブログの題、「命の水の泉から」も黙示録21:6です。また詩篇36;10にも命の泉と言う言葉が出てきます。泉と言う名前を付けた祖父母の祈りがかなって小さな魂が主を知る者となりますように。
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竹下弘美



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