馬頭琴

▶︎ 命の水の泉から

見よ,私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいるのである。マタイ28:20

ここのところ、モンゴルの楽器、馬頭琴の音に魅せられている。ことの始めはある土曜日にかかってきたシアトルの友人からの電話だ。 彼女がシアトルで世話をした馬頭琴のモンゴル人奏者、リ・ポー氏の演奏会が翌日の日曜日にサンフランシスコであること、日本の名古屋で活躍している彼を応援する意味で私たちに行ってほしい、という依頼だった。サンフランシスコの日系コミュニティーには宣伝されてないからということだった。ちょうど翌日の日曜日の午後は予定がなく、喜んでご招待に与かった 初めて聴く楽器だった。
 
濃紺の(シルクであろう)ピカピカ光るモンゴル服に身を包んで、リ・ポー氏が馬頭琴を手に舞台に現れた。 なるほど、馬頭琴の上には馬の頭の彫刻がついている。弦は馬の尻尾百ニ十本の毛が使われているのだそうだ。それが束ねられてニ本の弦になっている。草原のチェロといわれるにふさわしい楽器だ。

馬頭琴だけでなく、中国古典楽器のオーケストラがバックについて、この2時間の演奏会の間, その調べは私をまだ見ぬモンゴルに連れて行ってくれた。そして、私の魂は青々とした緑の草原を馬に乗って駆けまわったかのようだった。なぜ、この調べがこんなに私の胸に響くのか、それはこの馬頭琴の由来を司会者からきいたからだろう。最近は日本の小学校の教科書にとりあげられているそうで、ご存知の方も多いだろう。「スーホの白い馬」というお話だ。

スーホは家畜を飼う牧童。心優しい少年でした。白い子馬とも仲良しでした。この素敵な子馬の存在を知った王様は自分のものにしたくて、スーホからこの白い馬をとりあげてしまったのです。スーホのもとに帰りたがる馬は王様の言うことをきかず、逃げ出し、王様の追手は何本も弓を放ってこの馬を殺してしまいました。死んでしまった白い馬を嘆き悲しんでいるスーホに、小馬が夢の中で語ります。

「私の毛や骨を使って楽器にしてみて。そうすればいつも一緒にいられるよ」

そこで、スーホは馬頭琴を作ったのです。馬頭琴の音色をきくと白い馬が草原を走っている姿が目に浮かびます。それから馬頭琴は牧民たちの楽器となったのです。

共にいるということの素晴らしさ、このことである。愛するものと共にいることほど、嬉しいことはない。そして、そんなことをしてくださっている方を私たちは知っている。スーホの馬は毛や骨を使ってだったが、イエスさまはその身体、命すべてを使ってくださった。そして私たちのために共にいてくださる。そのことがオーバーラップして、ますます、馬頭琴の調べが美しく響いてくるのだ。

今晩も、馬頭琴の音楽を聴いている。

竹下弘美 


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