経験不問 

▶︎ 命の水の泉から

この不景気で職をなくした人が周りにも多くいる。しかも家族を養っている若い働き盛りの人々が多く、心が痛む。先日は一年半ぶりに職にありつけた教会の方と喜びを共にした。

まだまだ多くの方が失職中でその方たちのためにみんなで祈っている。彼らとまた喜びを共にする日が来ることを信じて。神様には不可能はないからだ。

昔夫が米国でコンピューターの専門学校を卒業した年も不況で、職探しが大変だった。南はサンディエゴから北はカナダまで職探しをした。

の場合には、学生ビザの延長のトレーニングビザだったから、職がなければ、帰国ということになるため、必死だった。

しかも帰国といっても私は日本へ、彼は身寄りもいない韓国へということだったので、お先真っ暗だったわけだ。

どこでも三年の経験を必要条件にしていた。その経験をつけるのにはまず職にありつかなければならないわけだから、皮肉なものだ。

夫はおおびただしいほどの履歴書を出した。けれど、それに目を通してもらうためには、会社の内部に知人でもいれば、なかなかチャンスがないといわれた。

運よく二次試験の面接にこぎつけても難関だった。その時にクリスチャンの方々に助けられて、永住権を得、職についた。

人の力を信じていた私たちだったが、その最中にイエス様に出会い、神様の導きを信じるようになった。

レイオフの経験も何回かした。けれどその都度、神様は私たちの予期する以上の職を与えてくれた。

先日近所の教会の看板に面白いものがあった。
(求人募集、経験不問)」

というものだった。どなたでも教会へどうぞということだろう。


この世の中では経験不問という職はなかなかない。でも神様は私たちの経験も何ができるかも気になさる方ではない。

私たちのありのままを受け入れてくれる方だ。

よく教会にお誘いすると、「クリスチャンでなくても行っていいのですか?」という質問をされる。たとえ、クリスチャンホームに生まれても、初めからクリスチャンという人はいない。

またクリスチャンになるためには完全にならなければならないのではないかと思う人が多いが、完全な人間になるということは人間には不可能だ。私たちはこのままで神様に受け入れていただき、完全であられるイエス様を目指して生きるのだ。

 「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

マタイ9-13」

竹下弘美


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