献金は信仰の仁義

▶︎ 隊長ジャーナル

数年前の礼拝メッセージのテーマ「献金」の事を思い出しました。下は、その時に、礼拝に来ている信徒をダドリー牧師がランダムに教壇に呼んで、実際にしたことです。(もちろん、やらせ、打ち合せ、クサい芝居、etc、いっさいありません。)

牧師:「ここに100ドル札が10枚、1000ドルあります。これをあなたに差し上げたいのですが、その前にいくつかの質問があります。私がこの1000ドルをあなたに渡したら、100ドルはあなたが取って、残りの900ドルを献金の皿に入れてくれることができますか?」
信徒:「はい。」
牧師:「それはなぜですか。」
信徒:「これは私のお金ではありませんから。」
牧師:「では、もう一つお尋ねします。私がこの1000ドルをあなた渡したら、900ドルはあなたが取って、残りの100ドルを今日の礼拝で献金できますか?」
信徒:「もちろんです。」
牧師:「それはなぜですか。」
信徒:「このお金はもともとダドリー先生のお金で、私のお金ではないからです。」
牧師:「はい。ではこの1000ドルをあなたに差し上げます。」

NCM2隊長の教会は毎週末に5回の礼拝がありますから、5回の礼拝で5人に計5000ドルをあげたことになります。(礼拝の後でNCM2メンバーのミチコから聞いたのですが、このお金はダドリー牧師の個人的なお金だったようです。)

これまでに、旧約マラキ書のみを引用し、什一献金を則するように勧める牧師のステレオタイプなメッセージしか聞いた事がなかった自分には、このダドリー牧師の「信徒に1000ドルプレゼント」はとても衝撃的な出来事でした。

「そうなんだよなぁ〜。金も、物も、家も、仕事も、もともと自分のものじゃないんだよな。もともとスーツケースひとつでアメリカに来たもんなぁ..。」と、目からウロコが...状態となり、もともと自分のものじゃない、神様からの贈り物を大切に運用しなきゃいけないと反省した次第です。

神様は私たちのお金が欲しいわけではないのだと思います。(きっと..)キリスト者にとって献金とは与えてくれた人(神様)への約束を果たす事、言わば"信仰の仁義”ってことなのですね・・。

私のような「見なきゃ分からない」アホ信徒のために、5000ドルのポケットマネーをはたいたダドリー牧師の太っ腹には脱帽です。

NCM2隊長


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