我が家の財産〜それは多くの聖書
最近はテクノロジーの発展で聖書までコンピューターで読めるようになり、聖書が重いということもあって礼拝にiPadを聖書代わりに持ってくる方も多くなりました。携帯電話でさえ読めるのですからすごい時代になりましたね。
かつて私達の時代(?)には、み言葉が聖書のページの上の段の真ん中あたりとか、自分の聖書のページの場所で覚えたものです。それがiPadだと皆、同じページに見えて、み言葉を頭に入れにくいように感じます。
我が家の本棚にある聖書を見ますと、文語訳、口語訳、新改訳数冊、共同訳、新共同訳、リビングバイブル、英語版ではKing James, New King James, Living Bible, The New chain-reference Bible, New International Version、 The Amplified New Testament、Women’s Bible, Couple’s Devotional Bible、中国語聖書、英語と日本語対訳聖書、と、かなりあります。
また中にはマルコ伝だけを取り出した小型の聖書があります。それは姉の友人が彼女よりも5歳も年下の幼い私にプレゼントしてくれたものです。
そのころ、私はクリスチャンではありませんでした。中に彼女のサインがあります。彼女は中学生だったはずですが、私に伝道してくれたのでしょう。
もう2冊サイン入りでいただいた聖書があり、ひとつは、私が求道者の時に導いてくれた聖書のクラスの方々からいただいた英語と日本語対訳新約聖書、そのバイブルクラスの方々のサイン入りです。
あとひとつ、英語のThe Amplified New Testamentは義理の弟が私達の結婚祝いにくれたものです。これをもらった時にはクリスチャンではなかったので、何とへんなギフトだろうと思いました。
その裏表紙には「To my new sister and my happy brother on your wedding day」と書かれています。そしてコロサイ3:18、19と書いてありました。「妻たちよ、主にあるものにふさわしく、夫にしたがいなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけません」
あの時、Cal Poly のナビゲーターで救われて、燃えていた義弟は私達がクリスチャンになる日がありますようにとの祈りを込めてくれたのでしょう。
コンピューターで見ることができる聖書だと、このように長い間、祈ってくれた信仰の友にサインをしてもらうことはできませんね。
新改訳聖書の革表紙の2冊は2冊とも私が書いた作品への賞でした。いのちの言葉社の第一回あかし文学賞に入選してもらったもの、いのちの言葉社の第一回ペンライト賞で受賞した時の賞品です。果たして、私が天国に逝ってしまったら、これを誰かもらってくれる人がいるでしょうか。
聖書のプレゼントをへんなプレゼントと思っていた私が、このように今はこれだけが私達の宝と思うくらいに変えられたのです。
主の御名はほむべきかな。
竹下弘美