東風(こち)吹かば匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

▶︎ 命の水の泉から

菅原道真の和歌

この写真のように白い木槿(むくげ)の花が私達の教会の入り口で咲き誇っているのを見ました。そこで、菅原道真のこの和歌を思い出した次第です。

この和歌は平安後期の歴史物語、「大鏡」に収められていて、「春になって東風が吹いたならば、香りだけでも私のもとへ届けておくれ、梅の花よ、主人がいないからといって、春を忘れたらいけないよ」という意味の歌だそうです。

天神様で有名な道真が大宰府に左遷された際に詠んだものです。自宅でいつも梅の花を愉しんでいた道真は藤原時平によって罪をでっちあげられ、左遷させられたので、もうこの梅の花を楽しむことはできないけれど、春になったら、東風にのせて匂いだけでも届けてほしい、と詠んだのだそうです。

教会の木槿

ご存じのようにもう3か月もの間、新型コロナウイルスのために教会は閉鎖されています。この日は礼拝の動画撮りのために2か月振りに教会に行ってみました。

もちろん、動画撮影奉仕者8名しか教会にはいませんでした。表玄関に行ってみると、木槿の花が誰に見られることもなく、ちゃんと咲き誇っていたのです。

この欄で前にも書きましたが、木槿は旧約聖書の中に出てくるシャロンのバラです。この菅原道真の歌と同じように、主(あるじ)がない教会の外で、ちゃんと主(あるじ)がいなくても初夏のカリフォルニアの太陽を浴びて神様からいただいた生を謳歌していたのです。

そしていつか主(あるじ)である教会員が戻ってきて、高らかに主を賛美するその日がきっと来ることでしょう。

菅原道真の歌と違うのは、いつか主(あるじ)が帰ってくる日があることです。

信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。へブル11:1

竹下弘美

 


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