賛美「忘れないで」山内修一先生の信念

▶︎ 主を思う・・

<山内修一先生と共に>

山内先生に最初に会ったのは、先生家族が日本からロスアンゼルスに来られた時でしたから、もうかれこれ45年ぐらい前になります。

先生がアメリカに来られた事情はよく知りませんが、日本の教会では彼のゴスペル・フォークソングがあまり受け入れられなかったということがあったと聞いています。聖歌を編集した中田羽後先生にけちょんけちょんに言われたと話されていました。

ここアメリカでは、先生は、あちらこちらの教会で奉仕されていましたが、私たちとも共にオレンジ郡のホーリネス教会でご奉仕されました。オレンジ郡の教会は、開拓教会でしたので、先生のご奉仕はうれしいものでした。先生は、必要だと思ったら、どこにでも出かけるお方でした。勿論、手弁当で。

その後、私たちは、サンフランシスコに移転しましたので、ご無沙汰していましたが、私たちがロスを訪ねた時、前原先生のGVIC教会で礼拝をしました。そこで、先生と再会したのが最後でした。先生は満面に笑みを浮かべて再会を喜んでくださいましたが、“癌なんだよ”とおっしゃっていました。

そして、2013年の夏、主は、この天才的な作曲家で歌手の先生を天に召されたのです。そして、そのお葬式が丁度ホーリネス教団の修養会の最中にあったので、そこを抜け出して出席させていただきました。

GVICのウエブサイトに先生の証が載っていました。先生の作曲も載っていました。私たちの青春の歌、なつかしい先生の賛美です。

https://www.gospelventure.com/category/testimony/%E5%B1%B1%E5%86%85%E4%BF%AE%E4%B8%80/

<一番の思い出は>

私たちが、伝道集会で「父本当に帰る」という劇をしようと提案した時でした、A兄がそういう世的な方法を用いるのは神さまの御心ではない。ホーリネス教会の基本に沿うものではないと言い出したのです。

この劇は、菊池寛の「父帰る」をもとにしたもので、世俗的な人情的な劇にちがいありません。確かに、そういう提案をした私の心の中に、この劇で一般の日本人を誘うという魂胆がありました。

A兄はそういう人間的な企画(策略)が問題だと言ったのです。私もホーリネスですから、常に神さまの御心をなすこと、自分勝手な企みに走ってはならないということは、知っていました。でも、それでもなんとか教会にきてもらおうとするのがなぜいけないのかわかりませんでした。

私たちは、山内先生にこの件についての先生の意見を聞きに、先生のアパートを訪ねました。否、何か他の用で伺ったのかもしれません。

とにかく、その時、私は先生にことの経過を聞いてもらったのですが、話し終えて、私が「別に“裸おどり”をしようというわけでもないし、何がわるいのかさっぱり分かりません」と言ったら、・・・

山内先生は、(きっぱりと)「もし、“裸おどり”をして、人が救われるなら、私は“裸おどり”をします」とおっしゃったのです。・・・私は、先生のこの言葉を未だに忘れることができません。

結局、この企画は、教会の執事会で検討され、当時のロサンゼルスホーリネス教会の牧師であった辻本先生の裁量でやってもいいということになりました。

その時、この劇のためにはじめて来られた方は、たったひとりでした。その後その方は、ロスのホーリネス教会で救われで、現在彼女の子供たちも、教会でご奉仕をしています。

「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(新共同訳 第一コリント書9章23節)

ロバート・イー


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Posted by SANBI.us