時代が変わってもかわらない日本の味

08/28/2020▶︎ 主を思う・・

<日本の敗戦からの復興を見ました>

韓国戦争のまっただ中、李承晩大統領が父を日本に派遣したので、私の家族は日本に行きました。私が7才の時でした。やがて世田谷に居住することになり、日本で生活することになったのですが、日本は不思議な国でした。

当時、日本はとても貧しく心も荒んでいましたが、この朝鮮戦争を境に、高度成長していきました。私は、その証人です。着るものも食べるものもない時から胴巻きに現金を入れてハワイに遊び行くようになるまで、人は、こんなにも変わるものかと思わされました。

<時代はかわっても変わらないものがあります>

日本が繁栄を謳歌するようになっても、日本食は変りません。でも、あのラーメンは別です。今時、奇をてらった何々ラーメンなんていうのが軒並み出ていますが、そんなの食べたいとは思いません。

私には、当時の35円のあの中華そばとあのチャーハン、そして、あの鳥ガラスープが好きです。あの頃の中華ソバは、どこで食べても同じ味でした。

醬油ベースで具はチャーシューに、なると巻、半熟卵にメンマとほうれん草ぐらいかな。いずれにしてもラーメンは日本食ではありません。日本で育った中華料理です。

私がまだ日本に行って間もない頃、お蕎麦屋さんの前を通ったとき、お客がスルスルスルとお蕎麦をすすっていました。あまりにもおいしそうだったので、中にはいって、“あれは何ですか?”って訊くと、「たぬきソバだ」と言うのです。“いくらですか?”と訊くと「何円だ」と言うのです。(値段は忘れました)

それで、家に行って“何円くれ”と言いました。母が“何に使うのかと訊くので、”たぬきソバを食べたい“と言い、お金をもらって、蕎麦屋に行きました。

その“たぬきソバ”のおいしかったこと。この世の中にこんなにおいしいものがあったのかと思うくらい感動したのです。その感動は言葉で表現することが出来ないものでした。

ただ、その量が少し少ない。もうチョット余計に食べたいと思いました。それで、他の人が食べているのが何かと訊いたら、“きつねソバ”だと言います。

さっそくそれを食べるために、またお金をもらいに帰って、それも食べました。おいしかったです。でも、今度は少し多すぎました。

あるとき、その店の並びに、座敷つづきになっているお寿司屋さんで、(はじめて)握り寿司を食べました。お寿司の中にワサビが入っているなんて知らないものだから、ツーンときた時には死ぬかと思いました。

でも、その美味しさは、Again言葉で表現することが出来ませんでした。こんなおいしいものがこの世にあったのかと思うくらい感動したのです。それは、私の味覚の革命でした。

時は、日本がまだ貧しいころです。子供がお金をもってソバやお寿司を食べるのでびっくりしたと思いますが、私も日本の食事のおいしさにびっくりしたのです。

日本食の基本は、鰹節・昆布・お酒・みりん・酢・醤油ですが、(だから)その味はみんな同じだと言われればそれまでですが、新鮮な材料を使った、繊細な日本食は、私にとって(永遠に)夢の食事です。

<アメリカには日本食がなかった>

私たちがアメリカに来た頃は、日本食を食べられる食堂がありませんでした。日本食の食材も簡単には手に入りませんでした。そういう中で教会のおばさんたちが日本食をつくってくれたのです。

で、“教会で日本食が食べられるよ”というと日本からきた若者たちが皆喜んで教会に来ました。私たちは、日曜の朝、ボロ車でそういう若者たちを迎えにいきました。それが私たちの伝道方法でした。そして、そのようにして、教会に来た若者たちが救われて牧師になったりしたのです。

その頃、私たちは貧しかったので、たとえ日本食店があったとしても行くことはできませんでしたが、レドンドビーチの魚屋に手ごろな魚を買いに行きました。

マグロのトロの部分が切りわけられていたので、“それは、幾らですか”と訊いたら、捨てるものだからとタダでくれました。しばらくしたら、もうタダでくれなくなりました。

ミル貝もすごく安かったです。あの大きなグロテスクなミル貝を殻から出してもらい、きれいにしてもらったものを調理して、若者たちと食べました。今では、それもすごく高くなってしまって、もう買うことが出来なくなりました。

聖書に「人はパンのみにて生きるにあらず」とありますが、与えられた食事を感謝し感動して食べることが出来るということは、神さまからの恵みだと思います。

今は、あちらこちらに日本食店があり、寿司屋もあります。そのようになると、“日本食”が特別ではなくなります。当たり前になってしまいました。

でも、たとえ日本食が当たり前になっても、私が日本で初めて食べたあの時の日本の味は、あの感動は、消えることがありません。人生の価値が“感動”だとしたら、あの感動は神さまからいただいたものだと思います。主の聖名を称えます。

ロバート・イー


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
↑↑ キリスト教ブログランキングに参加しています。
よろしければ応援クリックをお願いします。


08/28/2020▶︎ 主を思う・・

Posted by SANBI.us