牧師の妻、かかあ天下は蜜の味
私たち夫婦は今年で結婚50周年を迎えました。50年と一口で言うととても長い時間だと思います。口げんかもせずいつも楽しく生活しアッという間の事でした。
もちろん、楽しい事ばかりでは無く悲しかった事、つらかった事もありましたが、50年無事に過ごすことが出来ました。
50年の長い間大きな波風が無かったのは、「かあ天下」のせいだと思います。「かかあ天下」というと妻が威張っていて、夫は意気地がなくて、大人しい夫婦を想像しがちですがそうではありません。
聖書によると最初の女性エバは、人類最初に創造されたアダムのあばら骨から作られたと書かれています。一人者のアダムの為にエバは助け手として創られました。
創世紀2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
旧約聖書時代の男女関係は、男尊女卑で女性が一歩後ろにいて、男性に仕えているように見えますが、主従関係はアダムが主、従はエバと思いがちですが、それは間違いでです。エバの存在は、あくまでも助け手なのです。
人に助けを乞う時は、お願いしなくてはいけません。命令形で助けを頼んでも、誰も助けてはくれません。
私はクリスチャンになってからの生活は、人目には私が主導権を持っているように見えるようですが、この聖書個所に出会ってからは、家内にお願いの生活が始まりました。
普段の生活は、「はい、はい」の連続で家内の言いなりで、重要な問題の時はじっくりと二人で話しあっています。
夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、夫婦でケンカして奥さんに勝って何なのでしょう。夫をやり込めて何なのでしょう。もっと勝たなくではいけない問題が沢山あると思うのです。
聖書は「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」。と創世記2章24節に書かれています。
一体とは、一つになる事で、身も心も一つにならなくてはいけません。一体になるという事は、例えば、一粒づつバラバラのもち米が、突かれて餅になると、もうバラバラにならない状態の事を言っているのだろう。
人生どう頑張っても100年、楽しく暮らすためには、「かかあ天下」で生活するのが一番だなと思うですが・・。
鈴木ケン