いつでもオープンしていて、誰でも祈る事が出来る場所(チャペル)

▶︎ 主とわたし・・

<こじんまりした美しい教会>

昨年、五島列島のキリシタン巡礼のツアーに参加して、いろいろな教会を訪ねましたが、自分の心に残ったのは、この旧五輪教会でした。前は、違う場所にあったのをばらしてそのまま現在の場所に移したのだそうですが、こじんまりした木造の美しい教会でした。そして、この教会が私の心に描く「祈りのチャペル」です。

まったく同じデザインで、もうひとまわりちいさな祈りのチャペル。シンプルな木造建築。誰かお金を出してくれる人はいないでしょうか?

人間と他の動物の決定的な違いは、人が“祈る生き物”だということだと聞きました。人間は、絶対普遍の神さまを知っています。ただ、その神さまが、見えないので、ついつい見える形の偶像を造りたくなるようです。

誰でも祈ります。私も祈りました。困った時には、間違いなく祈ります。だから、神さまにお祈りしたい時に、訪れるところがあったら、どんなに良いだろうかと思うのです。大きい豪華な教会もいいけど、こういうちいさな祈りのチャペルが世界中の町々にあったらいいのにと思うのです。過酷な人生を歩んでいる私たちには必要な場所です。それは、神さまと私の空間です。

確か、北カルフォルニアのパロアルトという町に「祈るためのチャペル」がありました。いつでも祈りたいときに行くことができるそうです。木々に覆われた入口を入ると小さな中庭があって、そこで休息することも出来るらしい、そして、その先に小さなチャペルがある。

私たちは、いつも車で通りすぎるだけで、中に入ったことがありませんでしたが、確か、カソリック教会が管理しているところだと聞きました。

<祈りには、力があります>

私は、クリスチャンが嫌いでした。今でも、嫌いなタイプがいます。(ごめん)

私は、かつて限られた人間の知性で、神を認識することなど出来るわけがないと思っていました(不可知論)。だから、神さまに会ったような話をしたり、神さまは、ああだこうだと自分の主張をあたかも神さまの言葉のように語る人たちを軽蔑していましたし、今でも神さまを軽々しく持ち出す人たちを嫌います。

でも、そういう私も、困った時にはいつも神さまにお祈りしていました。声は出さずに、どうして祈っていいのかわからなくても、“なんとかしてください”というような祈りをしていたように思います。そんな私を神さまはいつも助けてくださり、挙句の果てには、救ってくださったのです。

<卒業はしたものの>

アメリカに留学した私たちは、愚かにも仕事をしながら大学に行こうと思っていました。大変だけれど、若いからやれるだろうと思っていたのです。

ところが、留学生は働けないということがわかりました。学生の妻も(法的には)働けない。そして、例え(内緒で)働いても、大学の費用を捻出することは到底できないということも知りました。

それで、当時の最先テクノロジーであるコンピューターの技師になる勉強をして、お金を儲けて学校に行こうということにしました。

ところが、私がコンピューターの学校を卒業した時、アメリカは、丁度、不況に突入した時だったのです。(Southern Cal Gas Company が4名のメーターを読む人を求人したら、700人以上が応募したのです。10/8/1970)

私は、とりあえず6か月のトレーニングビザをもらって、仕事の経験を積んでと言う計画でしたのに、仕事につけなければどうしようもない。どうしていいかわからない状態でした。

毎日のように、履歴書をもってあちらこちらの会社を訪問しました。南は、サンディエゴ、北はサンフランシスコまで出かけました。私は、私たちは、必死でした。

<25ドルの約束>

そんなある日、私は、近くの教会のドアが開いているのを見つけて、中に入りました。そして、神さまに事情を話して、もし、仕事につくことが出来たら、25ドル献金しますから、よろしくお願いしますと心の中でお話し(お祈り)したのです。

たった一か所、国のGrant(補助金)を待っているというところがあって、そのうち雇ってくれるというところがありました。私は、藁をもつかむ思いで期待していたのに、それがダメになったのです。教会でお願いをしてからまもなくのことでした。

で、その晩は、私は、涙ながらに神さまに怒りをぶっつけたのです。私は絶望でした。悲しかったのです。“こんなに努力しているのに、なぜですか”って訴えました。

翌日、何気なしに学校に電話をしたら、一人だけ雇いたいという会社があるから試験を受けに来ないかというので、出かけて試験を受け面接して、その日に雇われたのです。神さまに喧嘩を売った翌日のことでした。

それで、さっそく教会に25ドルをもって出かけたのですが、ドアはしまっていて開けられません、誰もいないみたいです。それで、家に帰って、手紙と$25を入れた封筒をもって教会に戻り、ドアの下の隙間からその封筒を入れたのです。

それからいつもそこを通る時は、その教会のドアが開いているかどうか見たのですが、いつも閉まっていました。否、それ以後ドアが開いているのを見たことがないのです(日曜日には開いていたでしょうに)。

もしかしたら、あの時だけ、たまたま特別に開いていたのかも知れません。私がお話することができるように、神さまが開けてくれていたのかも知れません。

ちなみに、1970年の25ドルは、現在の(2020年)の貨幣価値に換算すると$167.78 になるそうですが、今思うに、いくら貧しいと言っても神さまとの約束なんだから、50ドルぐらいにはするべきだったと反省しています。

貧乏するとどんどんケチになるようですが、実は、神さまをあんまり信用していなかった為ではなかったかと思わされています。

『このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。』(マタイの福音書7章11節)

ロバート・イー


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