何を食べようか、何を飲もうかと、自分のからだのことで思い悩むな

▶︎ 命の水の泉から

リスとの出会い

先日週1回歩いている公園で、この子(リス)に遭いました。食べることに懸命で、人間が近寄っても逃げませんでした。なにやらナッツを食べているようでした。見れば周り中、この子が集めたらしい、木の実だらけです。

この光景を見た途端、浮かんだ聖句は「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが、人を汚すのである。マタイ15:11」でしたが・・、

いや待てよ、「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。マタイ6:25」の方がぴったりでは、とこの聖句で, み言葉絵手紙が描きたくなりました。

その日はロサンゼルスでは珍しく、手袋がないと寒いくらい冷えた朝で、彼方の山は珍しく雪山でした。

リスは冬眠すると思っていましたが、まだここは冬眠するほど、寒くなっていないのでしょうか?

家に帰って調べたところ、やはりリスはかなり長い間冬眠するそうです。そのために寝床や食べ物をかき集めて準備するということでした。

あの子がなりふり構わず(?)忙しく食べたり、集めたりしていたのはその準備だったのかもしれません。神様はちゃんと備えてくださるのですね。思い悩むことはありません。

家に帰って写真を見ながら描いてみました。きれいな毛です。整った顔です。

私の腕では本物の神様が創造された美しさが出せません。

コヨーテはどうする?

このごろちょいちょい、リングという我が家の入り口のドアにつけている防犯のアプリから携帯電話に警報が来ます。

「今、コヨーテが徘徊しているのが見えました。皆さんペットを家の中にいれるように」

そして先日近所を歩いていた時、近所中の犬が一斉に吠えだしました。すると、目の前をすごい勢いで狼のような犬のような動物が走り去りました。コヨーテでした。コヨーテだって食べて行かなければなりません。

家畜ではないですから、かれらもリス同様、自分で餌を見つけなければならないのです。そういう野生の動物でも彼らなりにいろいろ考えて食物を得ているわけですが、神さまは、そういう動物をも養っていてくださるというのです。

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」(マタイ6:26)

それで、神様は何を食べようかと思い悩むなとおっしゃるのですね。

竹下 弘美


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