「夜明け前が一番暗い」この言葉は、私たちがその人生の苦難を乗り越える時に感じる体験

▶︎ 主とわたし・・

NYCの夜景

「夜明け前が一番暗い」という言葉は、英語の“The darkest hour is just before the dawn”という言葉から来たといわれます。

そして、この言葉は、私たちがその人生の苦難を乗り越える時に感じる体験でもあります。

多くの人は、此の世の苦難を通して信仰を与えられます。真っ暗闇の中で、神さまの helping hand (救いの手)を見て救われます。

神さまは、暗闇の中でも真夏の太陽のもとにもおられるはずですが、私たちには、暗闇にいる時の方が見えるようです。

私の友人で、自分は「困った時の神頼みの信者」だと言っていた人がいましたが、それでもいいと思っています。

神さまを知っているのですから。ただ、信仰は、困ったときに逃げ隠れする為に与えられたのではなく、そういう苦難に打ち勝つために与えられているのです。

私は、神さまに何度も闇夜から助けられた経験を持っています。私には、神さまへの信仰(信頼)が充分になかったけど、助けていただいたのです。

『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。』(新共同訳 コリントの信徒への手紙一 10章 13節)

1.神は、耐えられない試練は与えられない ➡️ 試練は耐えられる (反対意見があっても、ここにはそう書いてあります)
2.神さまは、真実です。―>嘘を言うお方ではない
3.試練とともに逃れの道も備えてくださる ➡️ 解決方法が用意されている

<現実の闘い>

私たちは、みんな、生まれた時からいろんな問題に直面してきたと思います。生まれると病気その他で苦しみます。そして、学校生活、受験、就職があります。結婚と家庭づくりに苦心します。そして、引退生活と死。

かの永六輔さんのラジオ番組で、ある子どもが「どうせ死ぬのに、どうして生きるのですか?」って質問されて、絶句したと書いていましたが、そう、どうして生きているのですか?

<なぜ生きる>

多分、ただ死にたくないから生きているのでしょう。私を含めて、多くの人は、別に特別な“生きる目的”があって辛苦してきたのではないと思います。

でも、しっかりした目的がある人は幸いですね。一日々々がその目的のaccomplishment(達成)なのですから。そして、その目的が、具体的であればあるほど、充実感をあじわうことができます。

信仰者の生きる目的は、神さまからいただきます。(もしかして)あなたが今しているお仕事がそれかもしれません。

もし、そうでなければ、「祈りもとめなさい、そうすれば与えられる」(マタイ7章7節)と書かれています。

<現実の向こうに神の国を見る>

私たちは、祈ります。そして、神さまのみ業を見ます。ですが、どんなに祈っても変わらないという現実もあります。そういう時、その現実の向こうに神の国を見ることができる人は幸いです。

「現実の向こうに神の国を見る」とは、現実を見ないようにすることではないのです。この現実を神さまが何とかしてくださると信じることだと思います。どこまでも信じつづけることです。

私の現役時代は、私は、仕事々々、仕事だけでした。そして、八方ふさがりの状態に直面した時に、しばしば神さまのみ業を見たのです。でも、答えがすぐ来ない時もあります。そして、状況がますます悪くなる。

そういう時は、私は、神さまに任せることにしました。そうしたら、パーッとアイデアが浮かんだり、どこからか救いの手が伸びてきたということがありますが、・・・ たとえ、ダメだったとしても、会社を首になるぐらいが関の山です。

面白いことに、そのように首になっても、すぐ次に、もっといい仕事が見つかったのです。実際に、給料もよくなったのです。(私の場合)職を変えて給料がさがったということが一度もなかったのです。

要は、ごまかさないことだと思います。私たちは、現実を見て、対策をたてます。で、(主の導きを仰ぎつつも)万策つきたら、もう全部それを神さまにおまかせします。

自分では、もう何もしない。まさに、主の前に静まるという時をすごしたのです。そして、神さまからのシグナルをじっと待ったのでした。

生きた信仰とは、そういう神さまとの交わりのことを言うのだと思うのです。信仰はあくまでも「現実の世界」の中で働くのです。

私たちは、その現実に対峙して、逃れの道を発見する。そして、その時、神さまはすごいな~と感嘆するのです。

『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』(ヘブル人への手紙11章1節)

ロバート・イー


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