最期にはイエス様に手を引かれて永遠の光の世界へ
友人のご主人の死
日本に行ったら必ず会う中学高校時代の友人、七會さんがいます。コロナで日本行きができなかったこの1年はラインが通じたので時々連絡しあっていました。一昨日起きたら、彼女からラインのチャットに次のようなメッセージがありました。
「今あなたはぐっすり、夢の中でしょう。目覚めてびっくりしないでね。私、やっと少し話せるようになりました。夫が1月24日に召されました。胃癌のステージ4、ほかにも転移していました。暮に緊急入院26日目でしかも彼の誕生日でした。
体は、かったるいと言っていましたが、痛がることはありませんでした。静かにおだやかに息をひきとりました。いいお顔でした。葬儀は教会でしていただきました。またね。」
日本が朝になるのを待って電話しました。ご主人の臨終に至るまでを詳しく聴くことができました。緊急入院するまで、心不全があったので、そちらばかり気になっていて、癌がむしばんでいることは知らなかったのだそうです。
1月5日にドクターから本人を前に娘さんも交えて病状を伝えられ、もう何も治療はしないで、おだやかに召されたという事でした。
ご主人とのなれそめ
「ああ、残念だった、もう一度、あのご主人に地上で会いたかった!!」と彼女に言いました。というのは高校生の時、彼女は伊勢湾台風の後始末のボランティアに行き、そこで、やはり、ボランティアで来ていたご主人と知り合ったのです。
そして、その芽生えた恋を育てるべく、その秋に神奈川県生田の柿山を持っている彼の家に柿をもらいに行く計画をたて、それに柿が大好物の私を巻き込んだのです。だしに使ったのですよね。
二人は東京都下の三鷹から自転車で生田まで多摩川の橋を越え、まっすぐ南に下って彼の家に行きました。小田急線の駅前の彼の家は旧家で柿山を持っていたのです。出てきた青年は背の高い好男子でした。
道具を使って私達に柿を採ってくれました。彼女は彼に会ってご満悦、私は柿を自転車の荷台に乗せてこちらもご満悦でした。家に辿り着いたのはもう夕方でした。
そして大学卒業後、彼女は彼とめでたく結婚。私が一緒に彼の家に柿をもらいに行ったということも少し貢献したのかもしれません。結婚後、私が帰る度に彼女には必ず会いましたが、ご主人にお会いできたのはたった一回だけでした。ですから、地上でお会いしたかった。
永遠の世界への旅立ち
葬儀を行った教会は彼のご両親が土地を寄付して建てられた教会だそうです。まだ墓石がないので、お骨はお宅に置いてあるそうです。
娘さんと、沖縄から駆け付けた息子さんが葬儀のために来宅した際、食べる前に初めてお子さん達と共に祈ることができたと、七會さんは喜んで報告してくれました。
「それはきっとご主人が残してくれたことだったわね」「ああ、そうね」と彼女。まさに彼は一粒の麦だったのでしょう。
そんな時、いつか手に入れた本の中にこんな詩を見つけました。「老い」という題でしたがその最後に良い言葉がありました。
「一つ一つ経験したことのない未知の世界、ひとつずつ昨日が失われて広がる新しい世界、いよいよイエス様のお助けが必要になり、最後には、イエス様に手を引かれて永年の光の世界へ」上野温子著、プレイズ出版
遅かれ早かれ、私達は永遠の世界に旅立っていくのです。そこは光の世界。柿山よりもすばらしい風景でしょう。
あのハンサムだったご主人のお顔がわかるでしょうかと、七會さんと話しました。もうその会話の中では、哀しみは消え、光の世界への希望が湧いて来たのです。
竹下弘美