天国への準備

▶︎ 命の水の泉から

バケーションの間は、猫シッターに家に住んでもらう。というのは、猫はエジプトの時代から人間と共存していて、そのようなそぶりは見せないが、人を恋しがる。その証拠に私たちが帰宅した時の喜びの表現がすごい。どうやってこの喜びを表したらいいかと戸惑っている様子が手に取れ、犬党の人たちとはここで、意見がわかれる。

 バケーションから帰る喜びはこの猫の歓迎とともに、猫シッターの方が家の中をピカピカにし、整然としておいてくれることだ。今までの猫シッターの方すべてがそうしてくれたということは逆に言えば、我が家がそれだけ、汚いということにもなるということに今回気がついた。そこで猫シッターの方に感謝するだけではなく、自分でも時間を作って片付けるようにしだした。

私は決して片付けが嫌いなわけではない。ただ、ほかのプライオリティーが出てきてしまい、結果として、時間がなくなるのだ。いつも郵便物を取るとすぐ、よりわけていらないものはリサイクルに入れるようにしている。それでもうっかりすると、印刷物の束が積み重なる。

「目に見えるものは、飾り以外しまうべきです」「冷蔵庫の上は物置ではありません。置いていいものは、プラントだけです」と私に整理を指導してくれた友人の声がいつもきこえ、心がけているつもりなのだが。

お客様が来る時には、空いている息子か、娘の部屋にリビングルームの物で片付けられない物や、まだよりわけていない郵便物を押し込んでいた。息子が帰ってくる時には、娘の部屋に、娘が帰省してくる時には、息子の部屋に移動するという具合で、いつまでも片付かない。

そこで、土曜日、ほかにしたいことをすべてやめて猫シッターの人が来ている時に、開かずの間にしておいた、寝室の片付けにかかった。ほこりと蜘蛛の巣に驚く。要らない寄付するものを出したら、山となった。まだまだガレージをしなければならないし、処分しなければならないビデオの数もおびただしい。

クリスチャンの友人でいつでも引き出しを開けて見せてくれる人がいる。それだけ整然と片付いているのだ。彼女は事業をしているから、忙しさにおいては私以上なのに。

今年の私の目標は誰にでも引き出しとはいわなくても、せめてガレージを見せられるようにすることだ。天国には何ももっていけないのだから、後に残った人々が困らないようにしなければならない。

「私は裸で母の胎を出た。また裸で私はかしこに帰ろう。ヨブ1-21」

竹下弘美

 


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