聖書の中に高齢でありながら、神さまから子供を授けられたアブラハムとサラの話が出てくる。この思いもしなかった告知を受けた時に、彼らは心の中で笑ったと聖書は記す。

「笑いの構造」というものを考えてみる時に気がつかされることは「笑いとは想定していた出来事のことが言われたり、起きたりした時に起こるもの」であると思われる。

ということは、信仰者の暮らし(昨日の三盛さんの影響)の中に起きる笑いとは、神が私達の想定を超えてはたらかれる時のことを意味するのである。その想定外の出来事が、たとえ良きものと思われなくとも、天を仰ぐ時に笑いが起きてしまうというところに、信仰者として生きる醍醐味があるのかもしれない。

J0430905

マック

追伸:医学的にも笑うということは心身にとてもいい影響を与えるということが分かっているという。神は私達をそのように造られたのだ。

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