「待降・降誕(クリスマス)そして待望」 大川道雄牧師

「待降・降誕(クリスマス)そして待望」これが聖書のパターン(流れ)です。

「待降」とはイエスキリストのご降誕を待ち望むことです。人類は今も、真の救い主を待っています。キリストはあなたがたが心の中に迎え入れることを待っています。

「降誕」私達の毎日がクリスマスです。もし、あなたが受け入れるのなら、永遠の命であるキリストはあなたの心の(馬小屋)の中にこられます。

「待望」神の救いの計画の完成の準備は整いました。キリストは肉体を持って再びこの地上にこられます。天国に連れて行くために…. 。世界中の全ての人がこの光景に立ち会うのです。

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託された時間と賜物

『 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある』(伝道の書3章1節)

私達がめぐってくる季節に対していだく思いと願いは、冬に関して言えば「雪が積もって嫌だ」とか「いや、この寒さが気持ちいい」とか、夏に関して言えば「汗だくになるのが嫌だ」とか「いや、この暑さがたまらない」という程度です。

しかし、季節には私達が「いいとか、いやだ」とかいう以上の意味があります。もし、いやだからといって冬や夏が季節から外されたり、その順番を入れ違えたら、この世界はどうなりますか。おそらくこの世界のあちこちで私達が想像もしていなかったような自然災害が起きて私達、人類の存続すら危ぶまれるでしょう。

季節の関わり合いと、その意味の全体は私達には知りえないものです。しかし、確かにそこには順序があり、全体の調和があり、それぞれの四季でなされる自然界の現象の一つ一つには意味があるのです。

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わが魂よ、主をほめたたえよ!

世界にあって、日本では見ることができない建造物があります。それは、城壁です。あえて言えば日本の城には城壁がありますが、その城壁はその地域の藩主がいる城を囲ったもので、町全体が城壁で囲まれているというような場所は日本にはありません。しかし、世界に目を向けますと、このような場所がたくさんあります。万里の長城というのはその最たるものでしょう。

このことが何を意味するのか、言うまでもありません。これらの城壁は外部からの浸入者を防ぐために造られたのです。そうです、世界の多くの国々は互いに地境によって区分された国々であり、日本という国は海に囲まれた島国なのです。

地境であるということは、その境をまたいで他国人が自分達の領土に入ってくる可能性があるということで、それが友好的な隣人であるならまだしも、奪略とから殺戮というような理由で彼らが浸入してきたというのが多くの国の歴史なのです。

幸いなことに日本の近海は時に荒波にもまれ、そのような他国人の侵略をほとんど受けませんでした。幕末に欧米の列強が日本を侵略するのではないかという恐れが蔓延しましたが、それも幸いなことに起こりませんでした。それに対して地続きで他国や他民族とつながっている国地域では有無を言わずに襲われたり、最悪の場合はその住民全てを虐殺、あるいは女性、子供達、財産を根こそぎ略奪されるというようなことが度々あり、それ故に彼らが城壁を造るということは必然だったのです。

そして、その「城壁ありき」という状況こそが私達が向き合っている聖書の世界なのです(写真はエルサレムの城壁)。

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目から鱗を取り除きましょう。

現在、この国では互いの違いというものに人々の思いが向かっています。そして、その違いが憎悪となったり、排斥となったりしています。確かに私達は皆、異なります。しかし「我々は神の前に互いに罪人である」ということにおいては同じ所に立つことができるのです。

すなわち、私達は誤り多き者であり、自分の我欲に突き動かされる者であり、失敗を犯すものであり、独りよがりであるということ、このことゆえに私達は同じなのだということに私達の思いが行く時に、初めて、私達の間に理解と共感というものが生まれてくるのです。そして、この人に対する視点をイエス様は私達にも望まれているのです。

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神の御業を見た人達

私は明らかに「このことをこの方は心から願っているんだろうな」と思われることに対して「これは神様のみ心だと思いますから従います」というような報告を聞くことが度々、あります。しかし「このことは私の願っていることではないのですが、神様のみ心はそちらにあるようなのです。だから、従います」という言葉は、ほとんど聞くことがないのです・・・。

・・・このことは自分の願いがあまりにも強いと、神の御心を聞き逃してしまい、神の御心をも自分の決断を後押しするものとして利用してしまうことを私達はしてしまうということを示しています。

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最後に残るもの

私は27年前、インドのカルカッタにあるサルベーションアーミーにしばらく宿泊していたことがあります。大部屋に30ぐらいのバンクベッドがあって、私のベッドの横はブリキのトタンを挟んだストリートで、外の喧騒がいつも伝わってきました。まさしく安宿とはこのような宿のことを言うのであって、当時、一泊70セントぐらいだったかと思います。

自分が寝ている横を人が行き来しているのですから、常に人の気配を感じます。そして、朝になると必ず起こされるかけ声がありました。「チャーイ!、チャーイ!」とおじさんがミルクティーを大声で売っているのです。

そんな声に起こされて、ストリートに出ますと、あちこちで湯気がたち、そのチャイが売られています。その時に小さな素焼きのカップに並々と一杯3セントほどのチャイを注いでくれます。濃厚なミルクティーの味は、どんな高級なカフェで飲むものよりもおいしく感じました・・・。

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プロセスを大切にされる神

若い夫婦の口から出る言葉を一日録音してみれば、おそらく明らかになることがあります。彼らは一日に何度、子供に向かい「早くしなさい」と言っているかということです。朝食の時、「早く食べなさい」、玄関口で、「早く靴をはきなさい」。学校まで車で送っていけば、「早く、降りなさい」と言い残し、迎えに行けば「早く乗りなさい」。家に帰ればすかさず「早く宿題をしなさい」、シャワーから出れば「早く頭を乾かしなさい」。そして、極めつけは一日の最後の言葉です。「早く寝なさい」。そう、私達は「早く起きなさい」で一日をはじめ、「早く寝なさい」で一日を終えるのです。よくよく考えたら、このことはすごいことだと思いませんか。あたかも人生があと三週間しか残されていないので、時間を無駄にするなと言っているかのようです。

これでは家庭も学校も職場もストップウォッチをもった記録員と共にいる陸上競技場にいるようなものです。昔、「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という看板をよく日本で見かけましたが、まことにそのとおり、私達はそんなに早く、どこに向かっているのでしょうか。何をそんなに急いでいるのでしょうか・・・。

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