こうして教会は(20):なぜサンディエゴに暮らしているのか?

大塚久雄(ひさお)という経済史を研究した元東京大学教授が「意味喪失の時代に生きる」という本を書いています。私達の回りにはたくさんの「喪失」というものがあるでしょうが、その中で私達にとって最も深刻な喪失は「意味を失うことだ」と大塚氏は書いているのです。

大沢たかおという俳優が主演しました「仁」(じん)というドラマがありました。このドラマには「神」という言葉が何度も出てきます。主人公の医者が現代から江戸末期の時代にタイムスリップし、そこで繰り広げられるドラマです。

その中で彼が自分に問いかけるのは「なぜ俺はここにいるのか。なぜ神は俺をここに送ったのか」ということなのです。

自分は医者であり、その自分が江戸時代の江戸に住むようになった。「神はいったい俺に何をさせようとしているのか」とその意味を彼は問うのです。そうです、その「意味」を見出さなければ、自分の全てがあった未来を捨てて江戸に生きているということに希望がもてないからです・・・。

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こうして教会は(19):賛美の力

先日、台風19号で被災した日本の川越キングスガーデンを訪ねました。キングスガーデンはその名の通り、王の庭、すなわち神の庭です。その神の庭をあの日に大水が覆いました。

あの夜、止むことのない記録的な豪雨は三つの川の堤防を越えて、キングスガーデンのある低地に流れ込みました。玄関口には10段の階段があり、その階段が浸水の目安となっていたといいます。

その階段の半分まで水が来た時、職員の方達は100名の入居者を高い建物に移し始めました。副施設長はその玄関にソファーを置き、寝ずの番をして増え続ける水を監視し続けました。

やがて、その水が最上階の段にまで届き、施設内に水が侵入し始めます。結局、その水は施設内、一メートル50センチのところまで増え続けました・・・。

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こうしうて教会は(18):まごころを評価する教会

多くの方達の家庭には昔の写真や思い出のものというものがあると思います。時々「息子が書いてくれたんですよー」とその子の親の顔の絵を見せていただくことがあります。それを見て「下手ですね」という人はいません。「まぁーお上手、いいですねー。将来はアーティストですね」と私達は言います。その親御さんは嬉しそうにニコニコしています。

私が大切にしている思い出にかつて息子が幼い頃に書いてくれたメッセージがあります(彼の許可をもらってシェアーしています)。

ここには意味不明な「かかこい」、「fyne」とあり、何を言いたいか、だいたい想像はできますが、言うまでもなくスペルは間違っています。皆さんにとってこの絵は落書きにしか見えないかもしれませんが私にとって、このメッセージはかけがえのない宝物です。なぜでしょうか?我が子が心をこめて書いてくれたからです。

まさかこのメッセージに対して「お前のスペルは違っているぞ」「うまく書けるようになってから、もう一度、くれないか」という親はいないでしょう・・・。

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こうして教会は(18):湧き上がる喜び

昔、日本には「ドブ」というものがありました。最近、このドブにはフタが置かれ、目にすることがなくなりました。しかし、当時はまだいたるところにドブがありました。私も目を閉じれば、あのドブ、このドブと目に浮かびます。小さい頃はそんなドブまでもが私の遊び場で、よくドブの中をよくのぞき込みました。そこには無数のボウフラがおり、糸のように細い、赤いイトミミズが泥の中から半分を身を乗り出して、ユラユラと揺れていました。

時々、町内会ではそのドブを掃除しました。底にたまった泥がドブの側溝に出されるのです。これ、昭和の風景ですよね。その時の匂いときたら、これは悪臭です。「ヘドロ」という言葉はもう死語かもしれませんが、「ヘドロ」と聞けば、私はあのドブの泥の匂いを思い出します。

私は今でも覚えています。幼いころ、そんな泥が底にたまっている、町のはずれのため池一面に蓮の花が咲き乱れていたのを。その蓮の花の美しさときたらため息が出ます。・・・しかし、その根は誰もみたくない暗黒の泥の中にあるのです。

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こうして教会は(16):礼拝者の心にあるべきこと

アメリカと日本では事情が異なりますが、一般的に日本ではお葬式に列席する時には喪服という黒い服を着ます。そして、その時には一同、故人の死に対する悲しみと遺族に対する同情を言動によってあらわします。

その言動を通して、私達の心をあらわすのです。それを見た遺族は「この方々は私の家族の死を悼み、私達に寄り添っていてくれるのだな」と思うのです。そこには確かに彼らの心が目に見えるかたちとしてあるのです。

反対にもし、そのような時に場に合わないような装いや言動がありますと、それもまたその人の心のあらわれとして私達は受け止められるのです・・・。

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こうして教会は(15):神を畏れることが、なぜ必要なのか?

誰でも最高の人生を送りたいものです。そのために色々と計画をたてます。人生設計をたてます。しかし、最高の人生というのは手に入らないものです。私達はあせります。いらだちます。追い込まれます。なぜだ、なぜだ。何が足りないんだ。どうしたらいいのだ!

こうなると、私達が次に直面することは罪への誘いです。「だんな、いい話がありまっせ」。「あなた、何をがまんして、そんな生活しているのよ。こう人がいるのよ、会ってみない」。この先、どうなるか言うまでもありませんでしょう。

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こうして教会は(14):教会の祈りの力

私達の教会では、緊急の祈りの課題があると、それがメールで一斉に発信されます。多い時には一週間の間にこのようなメールが何度か送られます。こうして瞬く間に祈りの連鎖がひかれます。

そして水曜日、木曜日の祈祷会では出席者が祈りの課題をあげて毎週、祈っています。ここにいらっしゃる皆さんの身の上に何かが起きている時に、私達はその皆さんのために毎週、祈っています。

皆さんがお座りになっている座席の前にも「祈りの課題」を書き込む封筒があるかと思います。よかったらそちらに祈祷課題を入れて、献金袋にお入れください。私達はいつもあなたのことを覚え、お祈りしています。

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Soli Deo Gloria ! 神にのみ栄光あれ

これまで教会で、このような失敗や挫折、悲しい経験をされた方達と多くお会いしてきました。言うまでもなく私もそのうちの一人です。それらを通して今、思うのです。

単純に比較はできませんが「失敗」とか「挫折」、また「悲しみを伴った経験」というのは「成功」と「達成」、「嬉しい経験」よりも、ずっと多くのことに用いられるということを。

「成功、達成、嬉しい経験」とはアルバムの中に収められるもの、しかし、「失敗、挫折、悲しみを伴った経験」はアルバムを飛び出して、人を生かし、人を慰め、人を勇気づけ、時にそれが人の命を救うものなのです。

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