二年前の今日、FBに掲載したもの・・・。
この時期、わたしの心に思い起こされる日本人がいます。それは白洲次郎という人で、最近、彼の書いた「プリンシプルのない日本」(新潮文庫)という本を読み返しました。
昭和20年、白洲は外務大臣、吉田茂の懇請により、終戦連絡中央事務局の参与となり、時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に対して主張すべきことを頑強に主張し、GHQの要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめました。
昭和天皇からダグラス・マッカーサーに届けられた贈り物に対して、マッカーサーが「その辺に置いてくれ」とぞんざいに扱ったことに激怒して怒鳴りつけ、マッカーサーを慌てさせたという話は有名です。
なぜ彼はそのような大胆な言動をとることができたのでしょうか。それは彼の心に「プリンシプル」があったからなのでしょう。彼の「プリンシプル」は自分の前に立っている人間のステイタスや立場よりも大いなるものだったのです。
はたして私達にこのプリンシプルがあるのだろうか。「自分はここに立つ、故にこの件について自分は決して動かない」という原理、原則というものが私達の心にあるのだろうか。
いつも人の目を気にして、人と自分を比べて、一喜一憂している。「皆がそうしているから」ということが決断の決め手になっている。はたしてそれは正しいのだろうか。もっというと、その心の構えでコロナ後の世界、地に足をつけて生きていくことができるのだろうか。
マック
追伸:それなら私達のプリンシパルはどこにあるのだろう。プリンシパルを「至上の原則」とするのなら、それは上からくるものです。そして究極的な上とは天のことなのです。