医師はその人の先は長くないだろうと言った。その時、その人は二つのことを私に言った。ひとつ、自分のことは何も心配していない。どこに行くのか分かっているから。ひとつ、でも残していく妻のことが気がかりだ。その時、彼は自分で出来うる全ての備えを彼女のために終えていた。
彼は弱っていく体でありながら、以前のように礼拝に行きたいと行った。私は心の中で思った。「それは無理です。どうか安静にしていてください」
しかし、その週の日曜日、彼はその言葉通り礼拝に来られた。酸素ボンベを抱えながら・・・。そして、その後、もう一度礼拝に来られた。着替えるのも大変だったろう、でもしっかりと背広を着て、ネクタイをしめて一歩一歩、いつもの席に向かいながら・・・。
その日曜の朝、このご夫妻の姿を駐車場に見た時、心が燃えた。彼は命をかけて礼拝に来ているのだ。私は一回、一回の礼拝に命がけで魂を注ぎだしているだろうか。
Bさん、その人生の最後の三年間、共に信仰生活を歩ませていただきありがとうございました。こちらに居た時には、肉体的なしんどさがあったことでしょう。でも、今はジーザスと共にいるのですね。どうか安らかに、そして私達を見守っていてください。
2009年1月10日 Bさんのメモリアルサービスによせて。
Sol Deo Gloria! マック
身につまされる話ですね。
正月、胸部X線写真が引っかかりCTで精密検査をして欲しいといわれて、週明け早々再検査です。
rev.godzi先生
ごぶさたしております。今週、お祈りしています。またお会いして積もる話を色々とお話したいです。
お祈りありがとうございます。CTによる精密検査の結果、以前知らない内に肺炎にかかっていたようで、その時の傷が影となって映っていたようです。
また、その時に同じように、私が知らない内に肋骨を折っていたことも分かりました。
いずれも知らない内に起ったことであり、また知らない内に神に癒されたものでした。改めて、私たちが自覚していない時にも神の恵みと合いの中に生かされていることを教えられました。
rev.godozi先生
コメントを読ませて頂き本当にホッとしました。どちらも私達には思いがけないことだったのですね。そして、それは見えないところで偉大な存在の御手の中でなされていたのですね。よかった!
それにしても助骨が折れていたにもかかわらず、平然としておられたということに驚きました(何かに集中していますと痛みを感じないといいますが・・・)。
これからも、どうかくれぐれもお体を大切になさってください。