四年に一度の北京オリンピック、パラリンピックが終わりました。今年のオリンピックで印象に残っていることの一つは前回の女子マラソン金メダリストの野口みずき選手が怪我のためにレースを棄権したということです。彼女は四年もの間、ずっと今年の北京を目指して練習してきました。それ故に、一ファンとしてとても残念で悲しい気持ちになりました。
しかし、私達が忘れてはならないことは、オリンピックだけが人生の全てではないということであり、野口さんは人生を棄権したのではなく、二時間半余りのマラソンを棄権したにすぎないということです。
私達は本当に大切なことが分ってきますと、自分にとって不本意な事柄や失敗に対しても、もう一度、勇気をもって立ち上がることができるようになります。ある牧師がクリスチャンライフを「本質以外は寛容であれ」と言ったように、福音も本質が判ってきますと、枝葉のことに対しては常に心を自由にしておくことができるようになります(悲しいかな、私達はしばしば枝葉のことにこだわり、本質を蔑ろにしてしまうことがありますが)。そして、それは自分自身に対してということだけではなく、私達が他者に向き合う時に、パウロがコリント書に書いているような自由さの中に我が身を置いて生きることができるということなのです。
「わたしは、すべての人に対しては自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった・・・。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんなことでもする。わたしも共に福音にあずかるためである」1コリ9:19,22,23
実にジーザスを知れば知るほど、私達の心に積み上げられてきた諸々のこだわりから、解放されるのではないかと思うのですが、いかがなもんでしょうか。
マック
追伸:もちろん譲れないことに関しては、テコでも動きません。