見えない、見ない、見ようともしない

10年、20年、一つの世界にいると見えなくなるものがあります。

時々、私達の教会に初めて来たという方にその印象を聞くことがあります。そして、その意見にハッと色々なことを気づかされることがあります。自分はほぼ毎日この教会に来ているのに、なぜ、自分が気がつかないことを、その人は知っているのでしょうか。答えは簡単。慣れているがゆえに、見えなくなっているものが、たくさんあるからです。

ドラマ、「白い巨塔」に印象深いシーンがあります。医療ミスで夫を亡くした原告の家族が裁判を前に弁護士と打ち合わせをしています。その時、その妻がポツリと言うのです。「裁判で皆が何を言っているのか、私にはさっぱり分からない」。

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世俗に吹く風を嗅ぎとって、それを聖なる風に昇華することができたら・・・。今、礼拝メッセージを備えています。

マック

追伸:ジーザスの話を聞くために、子供も老人も食べる事を忘れてついていきました。私達はとても大切なものを、どこかに置き忘れてきてしまったようです。

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