田中真紀子さんが文部科学大臣となった時に子供達への教育の一つの目標として「他人と自分は違うということの大事さに若いうちからきづかせること」に取り組みたいというようなことを言っていました。
この言葉を聞いて「言われてみれば、確かに日本はそうだった」と忘れかけていたことを思い出しました。当地に住んでいますと「互いに違う」ということはあえて説明する必要もない前提で、その事実に基づいて全てのことが始まります。隣にいる人も目の前にいる人も、その肌の色も、言語も、文化も信仰も異なっているということから始まりますから、その違いをどうにか克服していなければこの国は成り立ちません。そのためにどうしても必要なことが私達が互いに交し合う「言葉」なのです。
最近、NHKニュースがアメリカの学校でもたれているディベート大会の取材を放映していました。一つのテーマに対して、学生達がいかに論理的に話し合いをし、相手を納得させるのかということを競う大会です。このような光景はこちらでは珍しいことではなく、いかに自分の考えている事を相手に伝えるかということは教育の根本にあり、それがこの国が存続していくための生命線です。最近、第二ラウンドが終わったオバマ大統領とロムニーさんとのディベートはまさしく、グラブをはめない言葉を応酬し合う格闘技のようなものでした。きっとお二人はあの後、そうとうに肉体的な疲労を感じたのではないかと思います(そのうち、このディベートもESPNあたりが放映するかも?笑)。
手を出さず、刺さず、撃たず、どれだけ言葉で物事を解決できるのか、それがこの国の最重要な課題です。
マック
追伸:この国が裁判の国で、言葉を駆使する弁護士が多いのもうなづけます。