今日はとっておきの「投資」のお勧めをしました。こんなにお得な話はありません!

今日のメッセージです。
よかったらどうぞ!
価値ある投資とは
二週間前に多くの日本人の企業家達が信仰をもって歩んでいるということをお話しました。数字が飛び交うビジネスの世界に信仰というものに立って、聖書と共に歩んでいるこれらの人達がいることに大きな励ましをうけます。
でも、よくよく考えますとこれらの方々は一番、賢い道を歩んでいるのかもしれません。今日、世界のビジネスシーンにおいて、特に金融の分野で力強いリーダーシップを握っている人達の中にユダヤ人がいます。ユダヤ人達は幼い時から、この聖書を土台とした教育を受けており、彼らのビジネスの成功にはこの聖書の教えが確かにあるのです。
そして、そのような視点でイエス・キリストの言葉を見る時に、そこには多くの商業用語が使われていたことに気がつきます。イエス自身、その年30歳まで大工として生計を立てていましたから、仕事の見積もりや世の中のお金の動きということをよく知っていたことでしょう。故にその譬の中にそのような言葉を使ったことは、ある意味当然だったかもしれません。
ですから(驚かれる方もいるのですが)、イエスは聖書の中で「利子」などという言葉も使っているのです。イエスは間近になされているお金の貸し借りとそこに生じる利子というものも見ていたに違いありません。
今日、新聞を開けばそこには「投資」という言葉をあちこちで目にします。アメリカにおいては「インベスメント」という言葉が巷にあふれています。皆さんの中にも投資をしている方が大勢いることでしょう。そのためにどこに投資したらいいのかということを専門家から聞いたりして勉強している方もいることでしょう。それはとても大切なことでして、法に触れないのであれば、神様が与えて下さったものを賢く管理して自分の人生設計を立てるということは、とても大切なことだと思います。
しかし、私達にはお金や株といった投資以外にもっと大切な価値ある投資があると聖書は言っているのです。そして、その投資がまず何よりも優先になされて、はじめて私達はしっかりと人生の本当の設計ができるというのが聖書のメッセージです。今日はこの聖書が「価値ある投資」ということについて記している3つのことを幾つかの聖書の箇所からお話します。
その投資の確実さ
まず最初に聖書が語る「その投資の確実さ」ということをマタイ6章19節―21節から見てみましょう。
19あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。20むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。21あなたの宝のある所には、心もあるからである。
イエス・キリストはこの箇所においてとてつもなく現実的なことを言っています。イエスとは何か霊的な自分の実生活とは関係のないことばかりを語っている方ではないかという人がいますが、こんなに人間の営みを現実的に見ていたお方はいません。
すなわち、イエスは言うのです。私達が地上に蓄えるものは虫が食い、さびがつき、時に盗人がそれを盗み出してしまう。皆さん、投資をする人は投資する価値のある銘柄を慎重に調べて、投資するのです。誰も損する銘柄に投資する人はいません。しかし、その慎重に選んだものが確実であるという保証もどこにもないのです。あのライブドアという銘柄に大金を注ぎ込んだ人達は、悲しい思いをしました。これは現代的には「虫に食われた」ということであり、「さびついた」ということでしょう。
イエスはそのような現実的な視点をもって、私達に勧めているのです。それは、イエスの生活の中から得た確信であったかもしれません。実際に大切に蓄えていたものが虫に食われ、さびがつき、盗人らによって盗まれた人達というものをイエスは見ていたのかもしれません。だから、力強く言われるのです「虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない場所に宝を蓄えなさい」。私達は思うのです「そんな場所があるのか!」。「あるのだ。それは天国なのだ」とイエスは言われるのです。
松下電器産業の創業者である松下幸之助さんは1979年、資財を投じて松下政経塾という学校を設立しました。その学び舎で将来の経営者を育てようというのです。そして、その松下政経塾の機関紙の中にこの聖書の言葉を取り上げて、こんな一文が書かれているのです。
私たちは、おおむね株式とかブタの貯金箱とか、程度の違いはあれ、お金を貯めることに熱心です。けれども、誰でも、死ぬときに財産を持って行けるわけではありません。すべてのことは、いつか破壊され、取り去られる運命にあるのです。 よく知識は盗まれないといって、子供の教育だけは熱心にする人がいます。しかし、それでさえ、病気やケガで失われないとは限りません。ただ「天に宝を積むこと」だけが永遠に失われる心配がないのです。 「宝を天に貯える」。この考え方を拒否するか、受け入れるかの違いはあっても聖書のこの部分はすべての欧米人の頭にあるのです。(松下政経塾「聖書講座」から)
松下政経塾は言うまでもなく、世界でも通用する経営者を育てる場所です。故にそこでは聖書も開かれる。そこには、今読みました一文にあるように、ビジネスパートナーの欧米人の心を知らなければならないという理由があるようです。しかし、実際のところ、それと同時にこのイエスの言葉が伝えている文字通りのこと、すなわち「地上では搾取される、失敗して損失を得る」という現実をこの学校では教えているのではないでしょうか。そして、たとえ信仰がなくても、その心に「天に宝をたくわえるような気持ち」で仕事をするようにと生徒達に勧めているのではないでしょうか。
有名な言葉ですがイエスはルカ12章15節-21節にこんな言葉を残しました。
15それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。16そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。17そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして 18言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。19そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。20すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。21自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。
私達にはぶれない投資先が必要です。もっといいますと「安心できる投資先が必要です」「確かにしがいのある投資先が必要です」。
その投資の絶大なる価値
二つ目のこと。それは「その投資の絶大なる価値」ということです。マタイ13章44節―46節にはこのような言葉が記されています。
44天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。45また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。46 高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
私達が何かに投資しようとする時、私達は一つのことを考えます。それは「この投資は本当に価値あることなのか」ということです。皆さんの中にも実際に投資をしている方がいると思います。専門家に話しを聞いて、どこの銘柄が一番、いいのかというようなことを勉強している方もいるかもしれません。しかし、どうでしょうか、この箇所に書かれている大胆な言葉。この箇所にはとてつもないことが書かれているのです。
44天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
人が畑にある宝を見つけるならば、その人は喜びのあまり全ての持ち物を売り払って、それを手に入れるというのです。
45また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。46 高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
また、良い真珠を探している商人が、その高価な真珠を一つ見つけると、そのために持ち物をみんな売り払って、それを手に入れるというのです。
これはすごいことです。ここで記されている譬の人達は全てと置き換えても、あるものを手に入れるというのです。それほどそれは価値あるというのです。そして、それは「天国」だと言っているのです。
天国とは先にイエスがそこにこそ、あなたたちは宝を蓄えなさいといわれた場所です。その天国を確かに手に入れておきなさい。それを確実なものとしなさいというのです。なぜですか。私達が『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう』と言われることのないためです。
コンビニエンスストアに行くと、こんな看板(パワーポイントで宝くじ宣伝の看板を出します)を見かけます。言うまでもない「宝くじ」の当選金額の看板です。人はこの数字を夢見てくじを買います。しかし、その倍率たるや、何百万、何千万分の一なのです。そして、その「宝」を手に入れた時に、私達はそれまで持っていた多くの大切なこと、勤勉、協力、節制、謙遜、友情を失う可能性がありますし、今日のみ言葉が語るように、私達の魂は今夜のうちにも取り去られるかもしれないのです。
もう一度言います。イエス・キリストは超現実主義者です。イエスの視点から言えば、私達の方が人生に対して非現実的な確固たる保証もない生き方をしているように見えるのでしょう。イエスの目から見れば、天に宝を蓄えることがどんなに現実的です晴らしいことなのかということなのです。だから、そのためなら全てを失っても、それを手に入れることを勧めるほどのものなのです。
こんなセールスマンいません。たとえその人が熱心なセールスマンであっても、「あなたの全てを売り払ってでも、これを買いなさい。それほどお買い得だ」とは言いません。というか、そんな大それたこと言えるはずがないのです。そんなことを言って、その言葉どおりにならなければ、後で裁判になってしまいます。でも、イエスの確信は揺らぐことがなかったのです。
皆さん、ご理解いただけると思いますが、私達の貯蓄をやめなさいと聖書は言ってはいません。私達の信仰は、それが不正によって集められたものでないならば、神様からの祝福としてそれらのものを受け取ることができるのです。しかし、その地上に投資することだけに人生を費やしてはいけないと聖書は言うのです。天にも宝を蓄えなさい。そのことを優先的にしていきなさい。それこそが最も価値ある投資なのだとイエスは語るのです。
その投資から今、受けるもの
3つめのこと。それは、「その投資から今、私達が受ける配分」ということです。私達が投資するものには絶大な価値がある。そして、それは決して失われることがない。しかし、驚くべき事にこの投資は今、まさしく“今”、私達に還元されているというのです。
Ⅱコリント4章7節‐12節 7しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。8わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。9迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。10いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。11わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。12こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。
よく「信仰、信仰と言ったって、そんな天国の話のことなんか聞きたくないよ。それよりも今、どうにかしてくれ」といわれる人がいます。先にも言いました。皆さん、聖書は現実的な書物です。現実的ということは、どういうことか。それは、今、そう現在、聖書は私達の心の中に宝があると言っているのです。そして、その宝とはイエス・キリストなのです。
パウロは言いました「私達は、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、私達から出たものではないことが、あらわれるためである。私達は、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。9迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない」。
皆さん、バイブルは、私達は宝を虫もつかず、さびもつかない天に積むだけではなくて、その宝を心の内に今も持っているというのです。聖書は私達人間は叩けば砕けてしまうような弱い土の器のようなものだといいます。しかし、そんな土の器に私達はイエス・キリストという宝を持っているというのです。この宝があるならば、私達は四方から艱難を受けても窮することがない、途方に暮れるようなことがあっても行き詰らない、倒されても滅びないというのです。
私達の人生には色々なことが起きてきます。それこそ、四方から患難を受けることもあるのです。途方に暮れて立ち尽くすこともあるのです。迫害にあうこともあるのです。そして、実際に倒れてしまうこともあるのです。しかし、私達は窮しない、途方にくれない、行き詰らない、見捨てられない、滅びないというのです。
先にお話しました天に宝を蓄えることを定期貯金をするということで例えるなら、この私達の心の中にある宝はいつでも引き出すことができる普通貯金のようなものです。私達が直面するあらゆる困難に対して、いつでもその時にかなった助けが与えられるのです。
そして余談となりますが、もう一つ、この宝から受ける恩恵をお話しましょう。先ほど、松下政経塾の話をしました。あの言葉の中には欧米人の心を知るということ以上のものが含まれているのではないでしょうか。すなわち、もし、私達がこの地上で「天に宝を積む」ように、生活するならば、私達のビジネスも私生活も己ずとうまくいくよということです。
天に宝を蓄えるということの一つの意味は「誰が見てなくても、全てを見ている神に真実を尽くしていく」ということです。そして、このような生き方は「馬鹿正直者は損をする」と“自称”現実的な人達から言われます。
しかし、最近この国や日本においてさえ起きていることはどういうことでしょうか。それは、今日の企業や会社は倫理的でなければビジネスができなくなりつつあるということです。色々な不正が横行している世の中です。毎日、その類のニュースが流れます。その中で倫理的な企業に積極的に投資していく人達が増えてきているのです。人々はうんざりしてきているのです。しっかりとまじめに仕事をしている人を評価する時代がやってきているのです。2000年たって、色々な苦い経験をして、やっと人間社会は聖書のメッセージの正しさを実感しているのです。
イエスが語らえた魔法の言葉をご存知でしょう「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは全て添えて与えられる」(マタイ6章33節)
まず、天に宝を蓄えていくこと。それによって私達が地上でも多くの祝福をも受けることができるということ。明日のことも分からない“自称”現実主義者に対して、本物の“超現実”主義者イエスはそう語るのです。
以前、読みました記事に統計によると牧師は他の職種の人達よりも長生きする傾向があるということが書かれていました(言うまでもなく、これは威張ることではありません。命は全て神の恵みです)。もちろん、牧師とは人間と関わる仕事ですから、そして人間ほど、自分が願うようにいかないものはないのですから、それなりに多くのストレスもかかるのが牧師の仕事です。しかし、反面、私達はこの私達の師であるイエス・キリストが勧めている桁違いの永遠のセールスを引き継ぎ、語らせていただく者なのです。そのとてつもないベニフィトがあまりにもすごいので、私達は驚きながら、そして嬉々として、語らせていただくのです。自分の確信と喜びを語らせていただくことができるということ。これが牧師の長生きの理由なのかもしれません。
ですから、イエス・キリストという“超現実”主義者が語られた永遠の投資のお話を、この永遠の投資をセールス(驚くべきことに、これは無料です)するようにと託された私は、現実の世界に暮らしている皆さんにお勧めするのです。
皆さん、天に宝を蓄えましょう。これ以上の投資はありません。私達はCD口座を更新する時にやってくる「グレース・ピリオド」を知っています。それは、貯蓄の満期が来てから一月なら一月、その期間にCD口座を更新するか、しないかを決めることができる期間のことです。
同じように神様も私達にグレース・ピリオドを示しておられます。やはり、この期間もいつまでも続くものではないのです。だから聖書は今も語っているのです「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である」(Ⅱコリント6:2)。
今日、バンクはおやすみです。しかし、今日も天の口座は開かれているのです!
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。