人を裁くな。そうすれば、自分も裁かれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。
なぜ、兄弟の目にある塵を見ながら

自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟に向かって、兄弟よ、あなたの目にある塵を取らせてください、と言えようか(以上、新約聖書ルカによる福音書6章より)。
私達はブンブンと自分の目の前にある梁を振り回しながら、隣人のちっちゃな塵を取り除けようとしている。2000年前に語られたジーザスの言葉は現代社会の病巣を突いている。
そして、この惨めな状態からの解放も・・・
マック
裁いてないつもりだったんです。
だけど、一見しただけで、裁きまくっていたことに、ちょうど気がつかされたところでした。そんな気付きばかり続いていて、途方もないです。
イエスさまから、なんとなあく、気付かれないように離れちゃおう、というような、そんな気配を自分の中に持っていたけど、なんだか、引かれている(惹かれている)んですよ。
温かく迎えてくれる光のようなものに。「もう、栄光の中に置かれている」んだってこと、そして、「道」を、備えてくださるってことが、心にふわんとしみこんだ、そんなかんじがしました。
気づかれないように・・・なんていい表現ですね。
ジーザスも苦笑いして、温かく手招きしているのでは。そんな光景を想像したら私もフンワカと温かい気持ちになりました。