今朝のサンディエゴは霧に包まれた。

30メートル先を見るのもちょっとしんどい。でも、その先にあるものが見えないといったって、そのものがなくなっているわけではない。ただ、霧が私達の視界をさえぎっているだけ。
そもそも、人間が「見える」っていったって、それは極めて限られた世界のことを言っているだけなのだ。本当は私達の目の前にはウヨウヨと埃が宙を舞っているわけだし、人と面と向かって話していても、その顔にも数え切れないほどの細菌がへばりついているはずなのだ(そんなの一々見えていたら、皆、病気になりますな)。でも、私達にはそんなもの何一つ見えちゃいない(これは感謝すべきことである)。見えていたら、”♪You are so beautiful♪”なんて歌、生れてこなかったはず。
聴力にしてもそうなのだ。驚くべきことに私達には、あまりにも大きな音は聞こえないという。小さな音が聞こえないなら分かる、しかし、その音があまりにも大きいと、その音すら聞き取ることができないそうだ。音にも色々あって、動物達は私達の聞こえない音をキャッチしているともいう。
以上、三浦綾子さんが、そんなことを書いていた。
私達はそんな頼りない目や耳を持っていながら、こんなことをぬけぬけと言っているのだ。「俺には神なんか見えねーぞ。何も聞こえねーぞ。神なんか分かんねーぞ」。「おいおい、そんな頼りない目や耳で見えない、聞こえないと言っちゃいけねぇ。神が分かっちまったら、その瞬間にそれは神ではあんめぃ。ワシらの頭にスッポリ納まる神なんかいらんわい」。
ジーザスはこう言われた。
「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者はさいわいである」 ヨハネ20章29節
マック
追伸:私は何度か洗顔クリームで歯を磨き、もがき苦しんだことがある。私は自分の視力と感触をあまり信用していない。