誇り

今日はこんなことを礼拝でお話したのです。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは第二次世界大戦が終結するにあたり、有名な「菊と刀」という 日本の文化についての書を書きました。その本の中で、彼女は日本の文化を「恥の文化」として位置づけています。すなわち、それは「私たちの言動は、他人が自分の行動に対してどういう判断を下すか、その他人の判断を基準にして自分の方針を定める」というものだというのです(彼女はな、なんと日本に行ったことがないのに、こんなことを指摘しているのです。ベネディクト女史、おそるべし!)。

そして、この判断は「自分が信じる対象を決める時」にすら作用するのです。一人の人間の信念、信仰という、最も個人の自由意志のもとになされていくべき精神的な意思決定の時ですら、私たちは天を仰ぐのではなく、両隣を見て、他人の判断を基準にして自分の信念を決めてしまうのです。

「私はこの福音を恥とはしない」  新約聖書ローマ人への手紙1章16節

この言葉はパウロという人がローマにある教会に向けて書いた手紙の一節です。彼は当時の世界最強国家ローマ帝国に向かって、その支配の下に置かれていた弱小民族ユダヤ人の間で始まったジーザスの教え(福音)を恥としないと書きました。

ローマの力と華やかさに目を留めることなく、彼は自分の立つところを恥とはしないと言ったのです。別の言い方をするならば、パウロにとって「福音は誇り」だったのです。

あなたは「私は誰が何と言おうと、この上に立つ。私はそれを誇りとする」というものがありますか?

そんなあなたは幸いだと思います。

マック

 

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