うちの娘は今、4歳でプリスクールに行っています。スクールといっても、絵を描いたりして遊んでいることが多いのですが、それなりに「いやだ」とも言わずに行っています。その彼女のクラスルームの隣は同じ年代でハンディキャップをもった子供達のクラスルームとなっているのです。その隣のクラスの子達と週に何回か一緒に勉強したり、遊んだりするようで娘の親友もその中にいるようです。親としてこのような機会を与えてくれる学校にとても感謝しています。
ある日、家内と娘のことを話している時に、家内曰く、「娘は隣のクラスの子供達と自分達の相違というものに何も気がつかないで一緒に遊んでいるのではないか」というのです。私はその時、頭を金槌でなぐられたような衝撃を受けました。なぜなら、私たち大人は知恵がつけばつくほど、人との違いを発見するようになり、その比較により優越感を得たり、劣等感に苦しんだりして生きていることがあるからです。それらの思いは人へのうらやみ、さげずみへと導かれていきます。
「相違を感じないようにしよう」と努力するのでもなく、相違など何もないかのごとくに、ごく自然に遊び戯れる子供達。彼らは完全に大人たちを圧倒する勝利者です。「子供だから・・・」なんて言ってられないのです。こう考えると、年をとっていくということは一体、どういうことなのでしょうか。
そのとき、弟子たちがイエスのもとに来て言った、「いったい天国では誰が一番偉いのですか」。するとイエスは幼子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国で一番、偉いのである」 聖書 マタイによる福音書18章2節ー4節
マック
年をとっていくということ。。。どういうことなんでしょうね、本当に。。知恵ばかりついて、比較の中に身を置き、自分のなかに殺伐さばかり育ってしまうのって、苦しくて生きにくい。真の知恵ばかり着けて見つめて生きていきたいな。そのようにイエスさまがわたしを導いてくださいますように。
ある賢人が言っていた言葉を覚えます。
「比較の中に生きる人は、決して本当の自由を味わうことができない」。
そう言われてみると子供って自由奔放ですね。
「あなたは、あなた。それだけで素晴らしい!」という眼差しが天から注がれています。その眼差しを意識して歩みたいですね。