竜馬とジーザス

私がまだ17歳の頃、幕末の志士、坂本竜馬に惹かれたことがあった。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、心打たれたのだ。

彼の生涯は面白い。小さな頃は泣き虫で、自分の名前すら書くことができなかった。しかし、剣術を習うにつれて、その生涯が大きく変っていく・・・。33歳の若さで暗殺されるまでのその生涯に対して歴史家たちは、彼がいなければ明治維新は違ったものになっていただろうというような大きな評価を与えている。

そんな彼が薩摩の西郷隆盛、大久保一蔵(後の利通)、陸奥宗光らと新しい明治政府の役職についての話し合いをもったことがった。どうやらその人名案は竜馬が作ったらしい。西郷らはその案を手に取り、一人一人の名前を見た。

ところが、そこに竜馬の名前はなかった。維新の最大の功労者であった彼は願えば、総理大臣にもなれた男である。不思議に思った西郷は彼に言った「竜馬さぁ、こん中におまんさぁの名が落ちちょりもんど」。

それに対して竜馬は答えたという「わしかいのう。わしは世界の海援隊でもやりますかいのー」。その場に居合わせた後の外務大臣、陸奥宗光にとって、その一言一言は生涯忘れられないものとなり、後年、繰り返し言ったそうだ「あの時の坂本は西郷よりも二枚も三枚も大きく見えた」。

こういう男に男は惚れるんだろうね(実際、男だけではなく、竜馬の人生にはいつも彼を支える女性達の献身的な姿がある)。

ジーザスの生涯もこの竜馬の生き方に似ている。ジーザスを取り巻く群集は何度もジーザスに言った「あなたこそ、私たちの王となるべきお方だ」。しかし、ジーザスは確実に王になれる可能性を拒み、十字架の道を歩んだ・・・。

「イエスを信じなさい」。私たちはそう言ってきたし、言われてきた。しかし、日本人に向けて特別な言い方があるのではないかといつも考えている(これがワシの生涯のテーマ)。それは「このジーザスの生き方にあんたは惚れないかね」ということだ。ジーザスについて思い巡らす人生がそんなところから始まっても私はいいと思う。

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