無駄な時間

昔から火が好きだった(といっても危ない人間ではない)。中高校時代を過ごした藤沢市辻堂ではよく、海岸で焚き火をした。仲間達と火を囲み、たわいもない話をしていた(当時は浜田省吾とか長渕剛とかがワシらのお気に入りで、この二人が好きな若者達が焚き火を囲んでどんな話をしていたかということは、分かる人には分かると思う)。

カリフォルニアでは野外の焚き火に制限があり、今は楽しむことができない。その代わりに、時々、家の暖炉で薪を燃す。パチパチと燃える火を眺めていると“あの頃”を思い出す。そう何かと“無駄な時間”が多かったあの時を。しかし、不思議なことに、そんな無駄な時間こそが私の今を作っている。人生って効率じゃーない。

私は牧師。一つ、聖書の話。モーセという人がエジプトに奴隷となっている同胞を守ったために、エジプトのパロ王の怒りを買い逃亡した。そして、その後、何もない荒涼とした土地で40年の時を過ごした。町からはかけ離れ、ただ荒地に昇る朝日と黄金に輝きながら沈む夕日を眺めるだけの40年間。モーセにはその単調な40年は無駄に思えたにちがいない。しかし、その彼には後にエジプトから同胞を救い出す使命が与えられ、今度は何百万もの同胞の先に立ち、また40年もの間、荒野を歩き続けた。

その荒野での40年のために指導者モーセに必要なことは何だったのだろう。彼にとって必修だったことは荒野のプロであることであったに違いない。そして、それは無駄に思えた最初の40年で学び尽くしていたことであった。

人生、投げるな、捨てるな、諦めるな、無駄に思える時こそ輝く時がくる。それが聖書のメッセージ。これで私も随分、救われた。

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