心の土壌

weeding去る木曜日の集会ではマタイ13章の種まきのたとえ話が開かれました。

イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」(マタイ13章3節-9節)。

このたとえの「種」とは「聖書の言葉」です。「土壌」は「私達の心」です。畑の地主が自分の土地の管理をするように、自分の土壌の最終的な責任は自分にあります。それをどのようにメインテインするのかは私達次第です。神様はこの土壌の管理を私達に委ねておられるのです。興味深いことはこのたとえ話を話されたイエス様はその最後にこう言われたのです「聞く耳のある者は聞くがよい」。それは「わたしは語るべきことは語った。後はあなた次第だ」ということです。

雑草の種も日ごとに私達の土壌に落ちてきます。草取りをした人ならお分かりになると思います。雑草の成長はとても早いのです。雑草は伸びきってしまったらやっかいなのです。根が強くはり、抜くのに難儀します。引っ張っていたら葉と茎だけが切れてしまって、根が残ってしまったということ、ありますでしょう。成長すべき芽を雑草が覆ってしまう前に、抜きやすいうちに今日も草取りに精を出しておきましょう。

マック

追伸:「責任に対する自由采配を委ねる」ということはその人に対する最大のリスペクトだと思います。

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