以前、たくさんの荷物をもって日本国内を移動したことがありました。その時、私はリュックを背負い、右手には炊飯器(?!)、左手にはスーツケース、そして外に出れば雨が降っていたので、傘をさしていました。そんな状態で満員電車や都内の人ごみを歩くことは気の遠くなるようなことで、その状態では立ち食いソバを食べる気にもならず、トイレに行くことすらためらいました。両手をうめる荷物が私の心の余裕をまったく失わせていたのです。
伝道の書4章6節には「片手に物を満たして平穏であるのは両手に物を満たして労苦し、風を捕えるのにまさる」という言葉があります。このみ言葉によりますと、両手をふさいでしまうほどに何かを握ってしまうことはあまり誉められたものではないようです。それよりも常に片手はあけておく“ゆとり”こそが私達に平穏な心を与えてくれるようです。
ダビデは苦難の只中で詩篇の4篇を書き、その冒頭にこう記しています。「わたしの義なる神。あなたはわたしの苦しみの時にゆとりを与えてくださいました」(1)。
わたしの片手はあいているだろうか。父なる神を思うスペースがそこにはあるだろうか。日々の事柄に追われて、父なる神が与えてくださっている「ゆとり」を見失っていないだろうか。師走といわれるシーズンに向かい、忙しければ忙しいほど、苦しければ苦しいほど、いつも片手をフリーにしておきたいものです。「ゆとりのないところからいいものは生まれない」。そんな言葉をかみしめています。
マック
追伸:両手がふさがったまま、転んてしまったら・・・・、そりゃー大変ですがな。