「あなたがたは代価を払って買い取られたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」 聖書:コリント第一の手紙6章20節
「買い取られた」という意味を思いめぐらしています。「自分は買い取られたのだ」ということを受け入れて私達はクリスチャンとなります。ということは買い取られた者が所有しているものは全て、もはやその人本人のものではなく私達を買い取られた方のものであるということです。
すなわち私の賜物も、家族も、人生設計も、財産、その他何でも、自分のものではなく、それらは全て私を買い取られた方のものであるということです。ですから買い取られ者としてすべきことは、それら神から委ねられているものと共に、神の栄光をあらわすということなのですね。
自分の心を探ってみても、この事実を忘れ、あたかも全てのものは自分所有のものであるというように考えている時にその心は大きく揺れ、思い悩むということに気がつかされています。しかし反対に、この事実を踏まえて生きると、これがなんともまたこの世が与えることのない平安へと変えられていくことに気がつきます。
まさしく、これは竜馬も経験しなかった「たまるか!」の世界なのです。
マック