ここしばらくイエス・キリストの語られた譬話から礼拝メッセージを準備しているのですが、その話の多くがとてつもないドンデン返しで終わっていることに毎回、驚かされています。
そして、その譬話に従うのなら、我々が神の前に立つ時には、これまたとんでもないドンデン返しが起きるということはきわめて妥当なことではないかと思います。なんといっても聖書の言葉に記されているように「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル記上16章7節)というのが神の視点だというのですから、私達には全く伺う知ることのないドンデン返しは必ず起こることでしょう。まったくもって、その時に私達は言葉を失うような光景を見ることになるのでしょう(その有様に比べたら、今見ている逆転劇などというのは、ちっちゃなことです)。
「弔いの家に行くのは酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ」(伝道の書7章2節)
マック