信仰をもってから「これをして何になる」というものがなくなりました。誰かに語りかける一言のあいさつも、教会の玄関先に落ちているゴミを一つ拾うということにしても、そのとりとめのない小さなことを全て御手の中で幾倍にもしてくださるお方の存在を信じることができるからです。
もし毎日の生活に「充実」というものがあるとするのなら、それはその日のうちに「To Do List」を全て終えることができたというようなことから来るのではなくて、小さな一つ一つのことが全て神の業につながっているのだという信仰から与えられるものではないかと思います。
さぁ、今日も小さく、されど大きく。
マック