米国では来週がサンクスギヴィング、そしてその後にはクリスマスと続きます。今年は12月6日、13日、20日とクリスマスに関する礼拝メッセージを準備する予定です。
開かれるテキストは聖書のクリスマスに関する箇所で、その中身はいつも変わりませんから、イースター同様、毎年この季節には苦しみます(クルシミマス)。なぜなら聖書をよく知っている方達が、その日に話されるメッセージのタイトルと聖書箇所を聞いて「今日の話はこんなアウトラインで、こういう結論になる」と思われ、実にその期待どおりのことを話すことだけは避けたいと思っているからです(もちろん、期待どおりのことも多々ありますが、もし端から何も考えず、悩まないのならば、それは無尽蔵の神の真理と知恵を追求することを放棄することでしょ)。ですから、神様、一つでいいから、私に見えない、がしかし、そこに既にある、新しい真理と知恵を示してくださいと聖書の言葉にしがみつきます。
「あなたは神の深い事を窮めることができるか。全能者の限界を窮めることができるか」(ヨブ記11章7節)
できません、だから・・・
「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」(創世記32章26節)
あぁ~、クルシ~。心が腰痛です。
マック
もうサンクスギビングの季節なんですね。ああ、今年はどっぷり日本で関係無しです。
ところでどーでも良い話ですが、実は私の職場はちょうどクリスマス辺りが超繁忙期で、職場のみんなで「あ、クルシミマスだ、、、」とため息をついていたのを思い出しました。ちなみにシングル男性彼女無しの同僚は「二重にクルシミマスだよ」と渋い顔をしていました。
マック先生も全く違う意味ですが、クルシまれるのですね。
T妻H母 改め ロイス さん
ごめんなさ~い。
コメントを見過ごしていました。
皆さん、かたちこそ違い、それぞれがクルシミマスなのですね。
私の手元にイエス様が寝かされた飼葉桶の影が十字架になっているものがありますが、イエス様の受肉の先にあるものを思う時に、イエス様こそ・・・・。