「自由」と「代価」

「私はあなたと争う気持ちはありません。話せば分かります」と言っても、無常にも強盗に襲われることがあります。同じことが今、国と国との間で起きています。

他国との国境まで家族を見送り、その安全を確認したウクライナの夫、父、息子達は踵を返し、今、来た道を帰っていくとのこと・・・。

平穏な時には当たり前のように甘受している「自由」ですが、愛する者達の自由を守るためには、相当の代価を払われなければならないことがあるということを今、私達は目の当たりにしています。

『平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう』(聖書 マタイ5章9節)

「平和をつくり出す」ということはどういうことなのだろうか。

祈りと共に・・・。

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