「また言っていますね」について

TBS神学校時代、多くのことを恩師に教えていただいたことを心から感謝しております。あの時の何を今も覚えいているかといいますと、「また言っていますね」と言わざるをえないほどに教授たちが何度も繰り返し話してくださった言葉だったなと思うのです(それらは今でも忘れることなく、その時の先生方の物まねすらできるほどです 笑)。

たとえばF先生がいつも言っていた「決してきよくない者を、あなたはきよいと神様は言ってくださるんだから嬉しいでしょ、ありがたいでしょ」という言葉。「放蕩息子は家に帰って、翌朝、何時に起きましたか?タモリの時間?そうじゃないでしょ。誰よりも朝早く起きて、喜んでお父さんのために働いたでしょう」。これらの言葉は神の恵みとその恵みに対する私達の応答となる動機を十二分に言いつくしています。

この何十回と聞いた(もしかしたら三桁いくかな)F先生の言葉は今も私の心に刻まれており、卒業後、年月が経つにつれて当時の「また言っていますね」が自分の経験と共に、しみじみと味わい深く分かってくるのです。きっとこのような言葉を何度も繰り返して話してくださったということは、F先生にとって、それはとても大切なライフメッセージのようなものであり、それは長い信仰生活の中から凝縮されて出てきた言葉なのだと思います。ということで、結論は「また言っていますね」というようなことを聞きましたら、閉口することなく、後になってその言葉が輝きだすまで、しっかりと心に刻んでおきましょうということです。

マック

追伸:『あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい』(ピりピ4章4節) これが弟子達が何度も聞かされたパウロのライフメッセージだったのではないかと思います。

 

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