彼はわたしに「人の子よ、あなたはこれを見るか」と言った。それから、彼はわたしを川の岸に沿って連れ帰った。 わたしが帰ってくると、見よ、川の岸のこなたかなたに、はなはだ多くの木があった。彼はわたしに言った、「この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。 おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている。 すなどる者が、海のかたわらに立ち、エンゲデ(今もこの地名が残っています)からエン・エグライムまで、網を張る所となる。その魚は、大海の魚のように、その種類がはなはだ多い。 ただし、その沢と沼とは清められないで、塩地のままで残る。 川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」(エゼキエル47章6節ー12節)。
「塩の海、塩の谷、塩の町、アラバ」という呼び名が聖書に出てきます。これらはイスラエルにある「死海」のことを指しています。この死海はイスラエルツアーに行く者達が必ず立ち寄り、浮かぶ場所です(五年前、一人でここに行った時は予算的にこの界隈のホテルをためらうことなく素通りしました(笑)。でも、それゆえに素晴らしい体験をしました)。
もちろんこの度、私達も浮かんでみました。浮かぶだけなのですから簡単そうですが、これがまたなかなか手順というものがありまして、うまい具合に身を塩水に委ねなければバランスを崩してしまいます。顔を塩水の中に入れることは厳禁で、そうなるとあまりにも高濃度の塩分のために病院にかつぎこまれるということもあるそうです。
今や世界的なリゾートとなっているこの死海ですが、この辺りには創世記に記されているソドムやゴモラがあったと言われており、そのような地名も残っています。また死海から眺めることができる対岸のヨルダン領の山の中腹にはルツの出身地モアブがあった場所で、ナオミとルツはどんな思いで当時、この死海を眺めていたのだろうかと思わされました。まさしく聖書の世界の只中で浮かびながらそんなこと思いめぐらすことができる、それがこの死海なのです。
マック
追伸:風化した岩が建築物だったというのは眉唾ですが、硫黄の玉が発見されているというのは興味深いですね。
『主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた』(創世記19章24節‐28節)。
