ベドウィンテントに別れを告げ(石を枕に夜空を眺めてみたけれど、なんとなくヤコブの気持ちが分かりました。創世記28章10節‐17節)
砂塵で先が見づらいネゲブ砂漠を
駱駝をはねないように、ひたすらはしる。このような口の中までじゃりじゃりしてしまうような緑も水もない厳しい荒野を走っていると、モーセと数百万のイスラエルの民が40年もの間、彷徨ったということは絶対に、絶対に不可能だ。10人家族であっても三日とてもつはずがない。だからモーセは神様からの約束の言葉を必要としていたのだ「わたし自身が一緒に行くであろう。そして、あなたに安息を与えるであろう」出エジプト記33章14節。これなくしてこの荒野は無理、無理。同じように私達の人生の荒野にも主の臨在がいつも必要。
途中、紀元前3世紀に生きた砂漠の民、ナバデア人の遺跡を訪ね(世界遺産なんだけど、それをアピールする看板などなく、人っ子一人もいないのね、ここ。この国では「ユネスコの世界遺産」というタイトルなんてのは悠久の時の長さの前にあまり意味がないのね、きっと 笑)、
ネゲブのオアシス、エン・アヴダットで再び詩篇42篇を思いながら礼拝を捧げる。今回の旅では乾ききった荒野に流れるせせらぎに本当に心がやすまりました。
ここで崖をよじ上っていたら、
突然、こんな強面の、「つのぶえ」にしたらいい音でるだろうなと思われる巨大鹿が目の前に突っ込んできて、
こちらはたじろぎ、あと少しで谷底に落下しそうになりました(笑)。奴はヒョイヒョイと崖を下り消えていきました。おいおい、お主、ちょっと詩篇42篇の鹿とはイメージが違うんだけど(笑)。
その後、今日の宿営地、ミツペラモンに到着。ネゲブ砂漠のど真ん中、世界一巨大なラモン・クレーターを(長さ40キロ、幅9キロ)見下ろしながら、その中にモーセと数百万ものイスラエルの民が野営している光景を想像し、気が遠くなり天を仰ぎました。
花と緑と鳥のガリラヤと違い砂漠の光景というのは、やはり人の人格にも影響を与えることでしょう。「環境」っていうのはとても大きな意味をもつし、こうして旅をし続けていると、この間のガリラヤ湖畔でのペテロではないけれど、神様は語られる言葉に対して、しっかりとその状況とか環境というものを考慮しておられたのではないかと思わされています。「モーセの40年の放浪」はガリラヤ地方やゴラン高原ではなく、やはりこの荒野でなくては次のHIS STORYにはつながらなかったのではないかと思います。神様の言葉は私達の置かれた環境とセットになって、次の祝福につながっていくものなのでしょう。
さて、明日はべエルシバに移動です。この地名はアブラハムが名づけ親でもあり、そこに住んでいました(創世記21章31節、22章19節)。さぁー、これからアブラハムになりきります(少し、緑が見たい、潤いがほしい・・・笑)。創世記12章から感情移入をはじめましょうか。
シャローム!
マック