今年の九月、日本での葬儀に参列させていただきました。急遽、お願いした三鷹のH牧師が心をこめて全てのことを導いてくださいました。師はいつも懇意にしている地元の葬儀社の人と色々なことを話し合い、教会の玄関先に「おきよめの塩」を置くことにしてもらったということを話してくれました。
「おきよめの塩」は明らかにキリスト教の教義にはありません。しかし、師はそのことに慣れ親しんでいる人達のために、それを置くのだとのこと、また自分の信じているクリスチャニティーはそのようなことではビクともしないとおっしゃいました。
私は先生の考えていることに全く同意するものです。正直言いまして、私は「おきよめの塩」について何の思いもありません(そのことによってわが身がきよまるとは考えません)しかし、そのことをとても大切なこととしている方がいるのなら、その方々に対する敬意と共に、それを置くことに賛同します。また、私が信じているクリスチャ二ティー、すなわちイエス・キリストがこの世界になしてくださったことは、一盛りの塩によっては全く微動だにしないことを確信しています(このあたり、以前もこのようなことで書いていましたね。数十億かけて、数百日かけて作られた映画でクリスチャニティーが揺らぐことはありません。これまで2000年間も上から下から激しく揺さぶられても、その聖書は改正されず、それは今も私達の人生を変えているのですから)。
小さなことで神学的な論争を起こすのではなくて(そんなことは世の人には何の関心もありません)、自分が信じてるものに対する確固たる自信をもって、この世俗世界を悠々と生きるキリスト教徒でありたいと私は思います。
もちろん、H師はあますところなく確信をもって、手にとって触れるものではなく、目には見えない天国の希望を会衆に語ってくださいましたこと、また教会員の方々はそれぞれの持ち場で心を込めて参列者に対応してくださっていたということを、つけ加えておきます。
マック
追伸:いや、この記事、クレームがつくかもしれませんな(苦笑)。これは私の信仰の心構えですので、そこのところご理解をよろしくお願いします。
『キリスト教徒が葬儀に出る時』
http://www.ncm2.com/?p=3069
NCM2のマダムのブログ記事です。
M師匠
マダムさんの記事を教えていたあき、ありがとうございました。マダムさんのブログにコメントを残せないようですので、以下に記させていただきます。
マダムさん
「おきよめの塩」について記事にしていただいて、とても教えられ励まされました。ありがとございました。「そのようになっていることですから」というようなところから脱却して、しっかりと自分自身にWWJD?と問いかけ、考え、実行するクリスチャンになりたいですね。
マック先生、コメントのコメントありがとうございます。先生はいつも謙遜ですね。爪のあかを煎じて飲ませていただきたいです。
マダム
マダムさん
お母様のご葬儀や召天記念の会が心のこもった、参列者にも証になる時となられましたこと、よかったですね。何よりもお母様も喜んでおられますね。