母の日のメッセージの準備をしつつ、牧師であった母の伝道牧会というものを思い起こしています。それと同時に母と同年代の牧師たちの信仰を思い起こしています。戦後、日本の教会を創り上げ、支えてきたのはこれらの牧師達の愚直な信仰でした。
信仰の中にも合理性が求められ、知性を魅惑するような言葉に魅かれ、方法論や言葉だけが宙を舞い、魂の奥底に触れることなく、上辺を通り過ぎていく。そして、心の中では明日、現れるかもしれない「何か目新しいもの」を期待している・・・。
神学生の時、恩師のもとに悩みをもった者が行くと、尋ねられました。「あなたはそのためにどれだけ祈りましたか」。「・・・いいえ、実は・・・」「もう一度、祈りこんでからきなさい!」。こんなに乱暴な突き放したようなアドバイス、現代のアプローチは「そんなことをしていてはだめだ」ということになり、却下されるのかもしれません。しかし、実際のところ、この愚直な信仰に生きた方たちの姿がとても気になる今日、この頃です。
マック
追伸:『神は宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである』(1コリント1章21節)。この主の前に、近頃、お利口さんになっていません、自分?