異邦人

今日は礼拝の中で、久米小百合さんが、なぜに「久保田早紀」が「久米小百合」となったのか、そして、なぜ神学校にまで行かれたのかということをお話してくださいました。そして、その後に今日の礼拝メッセージ、「異邦人」をお話させていただきました。

久米小百合さん、大作さん、M師匠、NCM2の皆さん、この三日間、ありがとうございました!

マック

今日のメッセージです。よかったらどうぞ↓

異邦人

2010年8月8日

久米小百合さん、大作さんの賛美を心より感謝します。久米小百合さんがまだ久保田早紀さんだった1979年から1980年にかけて、「異邦人」という歌が巷には流れ、それは大ヒットとなり140万枚の売り上げを記録しました。私はまだその時、小学生だったのですが久米さんの姿を音楽番組で観ては、自分でも異邦人を口ずさんでいました。

子供たちが空に向かい 両手をひろげ
鳥や雲や夢までも つかもうとしている
その姿は 昨日までの何も知らない私
あなたに この指が届くと 信じてた


作詞・作曲:久保田早紀

それが子供時代でなくとも、皆さんは今よりも少し若かった時、かなり若かった時、何かを掴もうとしたことがありますか?あるいは今、現在も、両手をひろげ何かを掴もうとしているという方はいませんか?

自分の欲しいもの、自分の夢、それが物であったり、愛する人であったり、そんなものが手にはいることを夢見て太平洋を渡ってこちらに来られた方もいると思います。

しかしながら、今、それが届かないものであり、掴めないものであったということに気がついているという方もいるのではないかと思います。その時は、何も知らなかったから、私はこの国に来て、あの人に、あの場所に、あの夢に、自分のこの指が触れることができると信じていた。

否、実際に掴んでみてもそれは自分が思っていたようなものではなく、たちどころに指の間からすりぬけていったというようなことはありませんでしたか。「異邦人」はその後にこのように続きます。

空と大地が 触れ合う彼方
過去からの旅人を 呼んでいる道
あなたにとって私 ただの通りすがり
ちょっと振り向いてみただけの異邦人

                     
作詞・作曲:久保田早紀

「空と大地が触れ合う彼方」。とてもダイナミックな光景が目に浮かびます。聖書に記されている神は唯一なるお方で、この天地万物を造られた神だと記されています。確かに私達は自然界を見る時にこの天地が何者かによって造られた、デザインされたということを思うことがあります。私達が命の誕生というものを思う時に、私達はその不思議に圧倒されることがあります。世界は人間の想像を超えた精巧さに満ちているからです。

しかし、それではこの神と自分との個人的な関係というものが分かりません。私達はただ星空を眺めてため息をつくだけなのです。私達がこの神が自分にとってどんな存在なのかということを知るためには「空と大地が触れ合う」瞬間が必要なのです。

聖書はその瞬間をクリスマスの出来事として記録しています。神がそのひとり子なるイエスをこの世にお与えになった瞬間です。天と地はかけ離れ、当然、私達人はその間を行き来することなどできません。しかし、神がイエスをこの地にお与えくださったことにより、この天と地が触れ合ったのです

私達と同じようにこの地に立って生きたキリストは、私達の現実をよく承知しておられました。まず、私たちが手を広げて何かを掴もうとする者であることをよく承知していました。

そして、私達がそれを掴めない者であるということも承知していました。否、たとえそれを掴むことができたとしても、私達はそのことによって心満たされずに、それゆえに心が渇く者であることをよく承知していました。すなわち、私達が何を掴み取ってもその渇きは癒えないということを知っていました。

それゆえイエスは言われました

この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます

ヨハネ4章13節‐14節 

このイエス様は愛弟子ヨハネを通してヨハネ黙示録にこのような約束を残しました

わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる

ある年の夏休みに家族を連れて海外旅行をした家族がいました。一生に一度だからと最高級のホテルを予約しました。普通泊まるホテルよりも三倍もしました。それゆえにお財布の中が寂しく、食事はいつも近所のスーパーでサンドウィッチやシリアルをホテルに持ち帰って食べていました。

ある時、そんなものを抱えながら、ホテルの宴会場の前を通りましたら、そこには豪華な食事が並べられ、多くの人が嬉しそうに、楽しそうにそれを食べていました。自分達はこれからシリアルを食べようと思っています。それにひきかえ、彼らの食事のなんとおいしそうなこと。

しかし、節約、節約と互いに言い聞かせて、その滞在地での日々を過ごしました。そして、いよいよ帰国する朝、ホテルでチェックアウトする時に、好奇心から「あの豪華な食事はいったいいくらするのか」とホテルマンに聞いてみました。彼から返ってきた言葉は「あの食事は全て宿泊料に含まれているものです」

「異邦人」という言葉は聖書においてキーワードとなる言葉です。そうです、最初、神の救いはイスラエルの民、すなわちユダヤ民族のみに向けられていたと聖書は記しています。

その枠の中に、当初、異邦人、すなわちユダヤ人以外の人達は含まれていなかったのです。すなわち、私達はいなかったのです。当時ユダヤ人が神の前に礼拝を捧げる時、異邦人はただその場所を通りすぎるだけ、何をやっているのだろうかと振り向くだけの存在だったのです。

しかしながら、今や私達が人として生まれてきた限り、私達は誰しもこの神の恵みに預かることができるのです。私達は誰しも命の水をいただくことができるのです。この命の水は値なしなのです。文字通りただでそれを与えるというのです。

私達はそれに変わるものを必死で見出し、掴もうとする必要はないのです。異邦人である私もあなたも勝利を相続し、神の子とされるのです。私達に命を与えてくださった父なる神は、この命の水をその人生の“込み”として私達に与えていてくださるのです。

 

この度、久米小百合さん、大作さんがこのサンディエゴに来てくださいましたことを感謝します。そして、コンサートに出られた方はお分かりになったかと思うのですが、ヒット曲を世に出した小百合さんが、今や教会音楽家としてイエス様の命の泉が行く先々でわきあがるようにと世界中を回っていることを私達は知っています。そのことがあまりにも尊い故に、お二人はこの働きを続けていらっしゃるのです。

いかがでしょうか。あなたも、この神様をその心に受け入れませんか。そばを通り過ぎるだけ、振り向くだけの者ではなくて、イエスと共にその人生を歩みませんか。また、既にイエスと人生を歩んでいる方達よ、もう一度、この神様から命の水をいただき続ける人生を歩もうとコミットメントをあらたにしませんか。

お祈りしましょう。

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異邦人」への2件のフィードバック

  1. 残念ながら、コンサート・礼拝共に出来かけることはできませんでしたが、そのご様子をこのブログにて伺う事ができて、先生には心から感謝いたします、ありがとうございました。久米さんについては様々な活動をされて居る事、久保田さんを知らない東京の息子から聞いて知っていましたよ、『異邦人』・・・大変若いころ、その時のころが懐かしく思い出されました。

  2. Powayさん
    いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。次回、また何か企画がありましたら、ぜひお越しくださいね。またお目にかかれますことを楽しみにしています。

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