記憶と創造

「世界のクロサワ」と呼ばれ、多くの名作を生み出している故黒澤明監督は、映像を作り上げている要素は「創造」ではなく「記憶」だと言っています。すなわち、氏曰く「創造というのは記憶ですね。自分の経験や色々なものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない」

黒澤監督ともなれば、自分の作品は全て前例のない無からの創造によるものだと言うことができたでしょうし、そのように言われれば周りにいる者達もそう認めたことでしょう。しかし、監督はしっかりと人間の創造というものの本質を見抜いておられました。

イスラエル三代目の王、ソロモンはこう記しています。『先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。「見よ、これはあたらしいものだ」と言われるものがあるか、それは我々の前にあった世々に既にあったものである』 伝道の書1章9節‐10節

聖書は開口一番、こう言います『はじめに神は天と地とを創造された』。 創世記1章1節。この神の創造とはまさしく「無」からの創造を意味します。神だけが無からの創造を可能にされるお方です。

「創造」とは自分よりも先にあったもの、先に造られたものを記憶して、それらをアレンジして新しいものを生み出していくということ・・・。「創造力」とか「イマジネーション」が求められ、評価される今の時代にあって、神と先人達の前に謙虚にさせられます。

なぜユダヤ人は暗記するほどにトーラを記憶するのでしょうか。なぜ私達は聖書の言葉や物語を繰り返し読むのでしょうか。記憶こそが創造のはじまりだからです。物語の頂点に立つバイブルの出来事を心に刻む時、豊かな創造力が育まれると信じています。

「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」 聖書:詩篇1篇2節-3節

マック

追伸:話はぜんぜん違いますが。早くも昨日のスコーピオンが逃亡。どこにいるのかイマジネーションが膨らみます(笑)

 

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