日本人として生まれて

「日本人として生まれ」というシリーズも最後となりました。一番最初にお話したと思うのですが、誰も生まれる前に自分の国籍を選んで生まれてきた人はいません。「日本は今、高度成長期らしい、これはいいわい」とか「日本は世界一の長寿国だから」と日本に決めた人はいないのです。しかし、私達はどういうわけか日本人として生まれました。

そして、その私達はこれまたどういうわけか生まれ育った日本を離れ、この米国に移住してきました。それが永住、あるいはこの国の市民権を取得した人であれ、これまたよくよく考えたら不思議なことです。もちそん出生とは異なり、その移住の決断には自分の思いとか意志というものが反映されていることでしょう。しかし、そこにいたる諸々の出来事を振り返る時に何か私達を越えた大きな力があったようにも思えてこないでしょうか。

私達が日本人として生まれ、日本語を話し、この日本人教会に来ていること、それらは全て偶然なのでしょうか。神様はこの米国での生活、人生を通して私達に何を示そうとしていらっしゃるのでしょうか。そのようなことを思いながら、私達はこの「日本人として生まれて」というテーマを、日本を離れてこの米国に住む者として、このシリーズの最後に確認したく願っています。

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マック

今日、お話した礼拝メッセージです。

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「日本人として生まれて」

2009年8月23日

「日本人として生まれ」というシリーズも最後となりました。一番最初にお話したと思うのですが、誰も生まれる前に自分の国籍を選んで生まれてきた人はいません。「日本は今、高度成長期らしい、これはいいわい」とか「日本は世界一の長寿国だから」と日本に決めた人はいないのです。しかし、私達はどういうわけか日本人として生まれました。

そして、その私達はこれまたどういうわけか生まれ育った日本を離れ、この米国に移住してきました。それが永住、あるいはこの国の市民権を取得した人であれ、これまたよくよく考えたら不思議なことです。もちそん出生とは異なり、その移住の決断には自分の思いとか意志というものが反映されていることでしょう。しかし、そこにいたる諸々の出来事を振り返る時に何か私達を越えた大きな力があったようにも思えてこないでしょうか。

私達が日本人として生まれ、日本語を話し、この日本人教会に来ていること、それらは全て偶然なのでしょうか。神様はこの米国での生活、人生を通して私達に何を示そうとしていらっしゃるのでしょうか。そのようなことを思いながら、私達はこの「日本人として生まれて」というテーマを、日本を離れてこの米国に住む者として、このシリーズの最後に確認したく願っています。

移住 Emigration

思えば、聖書に記されているイスラエルの民、今日のユダヤ人の歴史は故郷を離れて生きた人達の歴史であります。ただその「離れた」という理由が私達の場合は、結婚や仕事、進学あるいは家族との関係での移住がほとんどかと思いますが、ユダヤ人の場合は他国との軋轢や侵略によって世界に散在していくことを余儀なくされたというのが本当のところなのです。

しかし、その最初の移住に関しては、神様ご自身が命じたことでした。思えば神様の壮大な計画の中において、モーセやダビデの時代にイエス・キリストを誕生させることはなかったということは興味深いことです。聖書全体を見ていく時に気がつかされることは、神様はイエス・キリストにいたるまで十分なプロセスを練り、その準備をなされたようです。そして、その準備は一人の人、その年75歳であった老人アブラハムを通して具体的に始められました。神様はその時、真っ先にアブラハムに何を命じたのでしょうか。洞窟にこもり、黙想をしなさい、私に祈りなさいと言われたでしょうか、その住んでいる町で大胆に神を伝えなさいと言われたのでしょうか。いいえ、神様はアブラハムに言われました。

「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。 (創世記12章1節-4節)

皆さん、このアブラハムに至るまでの聖書の出来事を思い起こしてください。すなわち神様はまず天地を創造され、ノアの大洪水があり、バベルの塔の建設と崩壊がありました。これらに共通することは何ですか。アダムとイブは神が備えたた本来の安住の地、エデンから自分達の罪ゆえに逃れたのです。その後、神様は地にはびこる諸々の諸悪を嘆き、ノアに箱舟を造るようにと命じました。そしてノアはその家族と共に長い間、暮らしていた一つの地から浮き上がり、その地から離れていったのです。自らを神のようにして、天に届くようにと塔を建てた人達の言葉は神様によって乱され、彼らは世界に散らされていったのです。お分かりのように、これらの三つの出来事には人々の罪というものがその根底にあります。すなわちその罪によって彼らの生活は混乱し、彼らは散らされていきました。

しかし、ここにきて神様はその罪の原因によらず、ご自身の積極的なご計画ゆえに、このアブラハムに住み慣れた地を離れ、私が示す地に行きなさいと言われたのです。なぜですか、なぜなら神様は自分の寄り頼んでいるものから離れ、その行く先々で直面する様々な試みを通して、アブラハムに、否、彼だけではなく、彼を祖とする幾十万もの人達にその旅路の中でそのみ心を示す、教えるためです。彼らがそれらの経験を通して神を知っていくためです。

今日、運動生理学によって人間の体のこの部分を鍛えるためには、このような運動が効果的であるとかという具体的なアドバイスがなされているといいます。例えば、首周りの筋肉をつけるということについて、それに最も効果的なプログラムは何であるかということをトレイナー達は知っています。

同じように神様にとって、アブラハム、そして後のイスラエルの民に最も明確に神の存在を知らしめる具体的な方法として、神様はまず彼らに住み慣れた場所を離れることを課したということは驚くべきことです。

皆さん、聖書が記していますように、そして私達が想像できますように、彼らの歩む道のりは決して楽なものではないのです。人間的に考えますならば、アブラハムの歩んだ道も決して楽なものではありませんでした。その後のイサク、ヤコブ、ヨセウの生涯も、またイスラエル民族としてエジプトの奴隷制から逃れた者達の生涯も決して安泰なものではありませんでした。

皆さん、私達は外国に住んでいるからこそ、受ける苦労というものを知っています。それが国際結婚、ビジネス、留学であっても、この国に住むことによって、手離さなければならない大切なものが多くあります。しかし、私達が注意深く聖書を読む時に、私達は常にそのような中でご自身をご顕現なされるのです。

それでは神様は何を最終的な目的として、祖国を離れたイスラエルの民を導かれたのでしょうか。神様は何を最終的な目的として、母国を離れて生きる、私達を今日、導かれているのでしょうか。

移住の目的 The purpose of Emmigration

私達は時に信仰をもっていながら、とても大きな誤解をしてしまうことがあります。それは私達が信仰をもったのは、私達が幸いな人生を送るため、豊かになるためだと思うということです。それは正しいことです。しかし、それが全てではありません。

先日、何かのドラマで興味深いことを言っていました。一人の女性が「私達は不幸せになるために結婚するのよ」と言うのです。なんともいただけない言葉のように思えますが、一理あります。私達はいつも幸せなわけではない。いや、生涯を連れそうということは必ずいつかどこかで不幸せにも一緒に向き合うことを意味します。そして、それら一つ一つを乗り越えるたびに、夫婦は成長し、強められていくのかもしれません。

私達が人生の目的を幸いになるためとか、豊かになるため、健やかに生きるためという方面ばかりから見ていますと、私達は時に行き詰ってしまいます。先の結婚でいいますなら普通「私達は幸せになるために結婚するのよ」という言葉に何ら、違和感を私達は持ちませんが、私達は生きている限り、その歩みには雲で覆われてしまうような、どしゃ降りの雨に降られるような時も確かにあり、それにも意味があるという見方が必要です。そして、そのことを証明するために私達はこのイスラエルの民の移住の目的というものを知る必要があります。

アブラハムになされた約束。それは「あなたを大いなる国民とするため、あなたを祝福するため」というものでした。しかし、その後のイスラエルの民達の放浪の旅を見ていく時に、アブラハムへの約束は神様のご計画の序章であって、その後の聖書の各書からイスラエルの民たちと神様との関係を見ていく時に、その先には私達に対する神様の究極的な目的というものがあるということが分かってきます。何だと思いますか。

それは彼らが富めるのではなく、その数を増やすことだけではなく、強い民とするのでもなく、ただ一つ、彼らを「聖なる民」とすることです。このことが分かってきます時に、私達はクリスチャン・ライフというものがどんなものなのかが分かります。なぜ、私にこのようなことが起きるのか。なぜ、これが失われるのか。なぜ、この痛みを受けるのか。なぜ、このような攻撃を受けるのか。そして、私達はこう思う。クリスチャンライフとは全能の神様を信じていることだから、私から何かが失われることはない、痛みは速やかに癒しにつながる、攻撃は難なくはねのけることができる、しかし、聖書を見て生きます時にどうやらそうではなさそうです。

このナゼ?という疑問をイスラエルの民達も様々な出来事によって味わったにちがいありません。もし、神様の目的が彼らを豊かな、強い、多くの民とするのであるなら、神様はそれらの試練や障害を全て、取り除けてくださったことでしょう。しかし、神様の民への願いはそのようなことではなく、その民が真に聖なる者となるためでありました。

紀元前約1200年、今から約3700年前もの昔、何百万ものイスラエルの民を率いて、荒野をさまようモーセに神様は語りかけました。

「わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしは聖なる者である・・・。・・・わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない」 レビ11章44、45

「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい。「あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」(レビ19章1節)。

これらから分かりますように、否、これらのみならず神様は私達の旅路の中で私達がきよめられることを神様は願っておられ、そのためにアブラハムをあの祖国から、導きだしたのです。

そして、この真理は旧約聖書のみならずに、この神様の私達に対する目的は新訳聖書においても変わらないのです(エペソ1章3節-5節)。否、それは天地の造られる前からの神様のご計画であったというのです。

                                                                              

3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。

皆さん、あのヨブの苦しみの理由は何でしょうか。ヨブは言いました。「彼(神)はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられる時、わたしは金のように出てくるであろう」(ヨブ23章10節)。純金は熱い火によって精錬されて、はじめてできるものです。

神様はイスラエルの民達を聖なる民とするために、故国を離れていく道のりを、その移り住んだ国での生活をお用いになったのです。

祖国への思い Our yearning to Motherland

皆さん、このようなことを考えていますと一つのことに気がつきます。それはイエス・キリストも移住者であったということです。「言葉は人となって、私たちの間に住まわれた(ヨハネ1章14節)というこの言葉は「ことばは肉をとって、私たちの間に幕屋を張られた」と訳されるといいます。すなわち神の栄光の中におられたみ子キリストがこの地に移り住んだということです。またそのような意味においては聖霊なる神もその栄光の世界から場所を変え、この私達の間にいてくださるのだ。

そして、イエスはこの地上で、そのおられた場所を忘れることなく、そればかりかご自身の神の国を説き、同じように聖霊は、そのおられた場所を忘れることなく、そればかりかこの地上で私達にその神の国の素晴らしさを分からせてくださるのです。イエス・キリストも聖霊もその移住した地で、そのこられた場所を無関係なものとするのではなく、その場所について語り、その場所の素晴らしさに生きたのです。イエス様も聖霊も、この地上でなさったことは、なさっていることは、神の国とこの地上を常にコネクトすることだったのです。

今さら、日本なんてという方もいるかもしれない。しかし、私達は日本に対する祈りと思いと伝道を忘れてはなりません。微力なはたらきかもしれませんが、私達のこの教会から、私達は日本語におけるミニストリーを続けなければなりません。そして、常にこちらでしている伝道は日本という国に常につながっているということを私達は心に刻んでいなければなりません。

最後に、度重なるイスラエル民族の困難な歴史の中、他国に移住していた一人のイスラエルの女性についてお話して終わりましょう。お話しましたように、何度となく、危急存亡の出来事に直面して今日あるのがイスラエル民族、すなわちユダヤ人です。そのユダヤ人がまさしく滅亡してしまう危機の中を通ったことが紀元前470年ごろにありました。

その時代、一人のエステルというユダヤ人の女性が彼女にとっては異国であるペルシャ王国のアハシュエロス王の王妃として迎えられました。そして、その時、その王のもとに仕えている一人の部下の策略により、ユダヤ民族はまさしく滅亡されようとしていたのです。その時にユダヤ人でありながら、その王妃であったエステルに対して、彼女の叔父は訴えるのです。

あなたは王宮にいるゆえ、全てのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。あなたがもし、このような時に黙っているならば、他の所から助けと救いがユダヤ人のために起こるでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたが、この国に迎えられたのは、このような時のためでなかったと誰が知りましょう」(エステル4章13節)。

「あなたが、この国に迎えられたのは、このような時のためでなかったと誰が知りましょう」

彼女はその言葉を自分に語りかけた言葉として受け止めたのです。そして、その時、一つ所に向かっていた歴史が転換されたのです。彼女は命をかけて立ち上がりました。そして、それによってユダヤ民族は滅亡の危機を免れたのです。一人の女性が決意した覚悟がイスラエルを、世界を変えました。

ですから、今日、皆さん、お一人お一人に強くお尋ねしたい。アメリカに移り住んでいる者として、今、聖なる者へと形造られるべくその道を歩んでいるあなたに与えておられる使命は何でしょうか。私達が祖国を離れて、この国に住んでいるのは偶然なのでしょうか。もっと具体的に言いましょう。あなたがこのアメリカ合衆国、サンデェイゴに住んでいるのは偶然なのですか?いいえ、そうではありません。イスラエルの民に神様が使命を与えられたように、私たちにも神様は個人的に私たちのすべきことを語りかけているのではないでしょうか。

お祈りしましょう。

本日のお持ち帰り

「日本人として生まれて」

あなたが日本人として生まれ、日本語を話し、この日本人教会に来ていること、それらは全て偶然だと思いますか?あなたはなぜ、どのような理由や経緯で今日、アメリカに住んでいるのですか。それらを振り返り神様のご計画や御手のはたらきがあったと思いますか?

イスラエル民族の始まりは、アブラハムという一人の老人に対して、故国を離れるようにという神様の御声から始まりました。なぜ、神様はアブラハムにまず、そのことを命じられたと思いますか。私達が住みなれた国を離れる時に、私達が直面することは何ですか。

預言者エレミヤは、故国を離れ荒野をさまよう同胞の仲間達に対して神様のお心を預言しました。以下の神様の言葉をどう思いますか。「つるぎを逃れて生き残った民は、荒野で恵みを得た。イスラエルが安息を求めた時、主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実を尽くしてきた」(エレミヤ31章2節3節)。あなたの人生において「荒野と思われる場所」で「神様の恵みを得た、神の愛を見いだした」という経験がありますか。 

イスラエルの民達が故国を離れ(追われ)、離散の民として生きるのは、彼らが豊かになるためとか強くなるためではなくて、彼らが経験する諸々のことを通して彼らが“きよくなるため”でした。この神様の目的を知る時に、私達はイスラエルの民達が通った諸々の試練・困難の意味も分かってきます。あなたの人生にこのことはどのように当てはまりますか。

あなたの人生の諸々のチャレンジや困難は私達がきよくなるためだということを知る時に、私達の人生の見かたはどう変わりますか(レビ11章44節-45節、レビ19章1節、エペソ1章3節-5節)を読みましょう。

度重なるイスラエル民族の困難な歴史の中、他国に移住していた一人のイスラエルの女性、エステルに叔父のモルデカイが語られた言葉(エステル4章13節)、特に「あなたが、この国に迎えられたのは、このような時のためでなかったと誰が知りましょう」という言葉をあなたが自分へ語られた神の言葉として受け止める時に、あなたは何ができるでしょうか。

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