黒人初の大統領が誕生するその日、ニューヨーク・ハーレムにある中学校の生徒がその就任式を皆でお祝いするイベントを企画したというドキュメンタリー番組を観た。
その中の一人の生徒は幼い頃、いじめられっ子だったという。ある時はトイレで突き飛ばされて、頭を数針も縫う怪我をしたという。しかし、その少年はカメラに向かって「暴力に対して暴力で戦い挑んではいけない。そうではなくて、僕は言葉によって戦うんだ」と言っていた。
人は太陽・月・巨岩・大木を崇拝の対象にしている。しかし、前にも書いたと思うけれど、それらの被造物から私達は具体的なメッセージを聞き取ることができない。つまり大木の前にひれ伏していても、そこで“なにかしらのフィーリングを感じる”ことはあるかもしれないが、その木から“具体的な生きる指針”を受けることはない。
バイブルがすごいと思うことは、何よりも「言葉」というものを最重要なものとしているということ。ヨハネによる福音書は「言葉は神であった」とすら書いている。オバマ大統領が就任式において、石や木の上に手を置かずに、聖書(神の言葉)の上に手を置いて宣誓したこと、その本当の意味を私達はどれだけ知っているだろか。
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。ヨハネ1章1節ー5節
牧師も言葉 (聖書)によって戦う。
Sol Deo Gloria!
マック
